「疎開でお世話になった土地の滝を有名にしたい」 ある日、新聞社を訪れた高齢男性の思いとは

浅井 佳穂 浅井 佳穂

  「戦時中の学童疎開でお世話になった場所の近くにある滝の知名度を上げ、恩返ししたい。だから記事にしてほしい」―。ある日、1人の高齢男性が京都新聞社(京都市中京区)を訪れ、そんな取材依頼を寄せました。戦後75年たっても忘れられない恩とはどのようなものだったのでしょうか。滝の思い出も交えて男性に話を聞きました。

 男性は清水保孝さん(84)。第2次世界大戦末期の1945年、小学生だった清水さんは、自宅のあった京都市上京区から京都府北部の宮津市に学童集団疎開をしました。智源寺というお寺に滞在し、授業の行われた宮津国民学校(現宮津小)に通ったそうです。

 当時は食糧難で、食べ盛りの子供だった清水さんたちはとても困ったそう。友人たちとともに、クリやシイの実を採って食べたと言います。

 そんな中で宮津の人たちは温かく接してくれたそうです。清水さんら学童集団疎開の子供たちに「けがしたらあかんで」と声を掛け、時にはお菓子も渡してくれました。

 清水さんは「(宮津の人たちは)疎開してきた子も、地元の子と同じように接してくれた。本当にご厄介になった。宮津は第二のふるさと」と懐かしそうに言います。

 疎開していたある日、清水さんたちは遠足に出かけたそうです。それがお寺の南西にある「金引の滝」でした。

 金引の滝は高さ約40メートル、幅約20メートルで、1990年には「日本の滝100選」の一つとなっています。清水さんはこの滝の景観にほれこみ、疎開中にも友人たちと5回ほど見に行きました。しかし、戦後は訪れる機会がなかったといいます。

 「金引の滝を新聞やテレビで見ることがないので、戦後は開発されてなくなってしまったのではないか」と思っていたとのこと。しかし、最近になって、金引の滝を紹介するテレビ番組を見たと言います。「金引の滝が残っているのなら多くの人に知ってもらい、訪れてほしい」と清水さんは考えたそうです。

 清水さんは「宮津など日本海側は過疎化が進んでいると聞く。あんなにいい滝があるのに、知られていないのはもったいない。多くの人に訪れてもらうことで地域振興のお役に立ち、疎開のころにお世話になった恩返しをしたい」と思いの丈を語りました。

 地元の天橋立観光協会のホームページによると、金引の滝は、京都丹後鉄道・宮津駅に近い「道の駅 海の京都宮津」からレンタサイクルで約10分とのことです。

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