過酷な野犬生活からハッピーな家庭犬へ コロナ禍で繋がった演劇人との赤い糸

岡部 充代 岡部 充代

 5月上旬、大阪・高槻市で1頭の野犬が捕獲されました。市内で野犬の群れが目撃されるようになったのは4月中旬のこと。保護活動をしている母親から野犬保護の相談を受けた伊藤法子さんは、「コロナの影響で住宅地から離れた場所の事務所や作業所から人がいなくなり、食べ物にありつけなくなった犬たちが人目につくところまで出てきたのではないか」と推察しています。

 夜になると姿を現す場所へ通って観察を続けた伊藤さんは、捕獲さえできれば「人馴れ→譲渡→家庭犬」という道を歩めそうな犬がいると判断。①捕獲サークルを設営しながら餌付けをし、②食べ物に虫下しとノミダニ駆除薬を混ぜて食べさせ、③捕獲サークルの設営が完了したら食べ物で誘導して奥に入れ、④ごはんを食べている間に扉を閉め、⑤クレートに移して搬送、という手順で捕獲に成功しました。「エースケ」君という名前をもらったその犬は、野犬から家庭犬になるための第一歩を踏み出したのです。

 

 野犬の捕獲は簡単ではありません。長く保護活動に携わっている人でも細心の注意が必要で、エースケ君の捕獲もさまざまな方の協力があって成功しました。その一人が小劇場を中心に舞台美術や大道具関係の仕事をしている佐竹加奈さん(仮名)。捕獲現場に立ち会うのは初めてでしたが、サークルの扉を閉めるという重要な役割を担いました。

 きっかけは、大学の先輩から数年ぶりに掛かってきた一本の電話。工具が使える“腕”を生かして捕獲のための仕掛け作りを手伝ってもらえないかと相談を受けたのです。その先輩が伊藤さんでした。

「彼女とは大学時代によく犬の話をしていました。実は去年、犬を飼うために高槻の一戸建てに引っ越したので、偶然にも近くにいたんです。それでお手伝いさせてもらうことになりました」(佐竹さん)

 

 折しも、緊急事態宣言の下、演劇界は公演の中止や延期を余儀なくされ、佐竹さんも仕事がない代わりに時間がたっぷりある状況でした。そこで、犬を保護している家の木戸や網戸を修理したり、木の枝を切ったりといった手伝いをしていたのですが、その庭の一角に捕獲直後の隔離期間を過ごすエースケ君がいて、しばらく同じ空間で過ごしたそうです。

 先述の通り、佐竹さんは犬を飼うために高槻に引っ越してきました。同じ業界にいるパートナーの三澤健太郎さんと一緒に。ただ、2人が子供の頃から飼っていたのはいわゆる“愛玩系”ではなく、「チワワやマルチーズにはなじみがなくて、そういう犬を飼うのは不安だった」(佐竹さん)と言うほど。ペットショップで買うという選択肢はなく、外飼いできる保護犬を迎えられればと考えていました。佐竹さんは仕事の大半を庭と、庭に面した工房でしており、外飼いといっても生活空間を共にするイメージ。条件は「工具の音に驚かないこと」でした。

 

 犬を迎える相談をした佐竹さんに対して、伊藤さんはエースケ君の「一時預かり」を提案します。コロナ終息後に仕事を再開しても十分な世話ができるのかを心配したためで、一時預かりは、佐竹さんたちにとっては犬との生活を実際に体験する機会となり、数日前まで野犬で人馴れが必要だったエースケ君にとっては、関わる時間がたっぷりある2人は最適な人物と考えたからです。

 まずは“デイサービス”から始めました。朝はお腹をすかせた状態で佐竹さんの家へ行き、到着後すぐに美味しいごはんをあげる。そうして胃袋をつかむと、日中は佐竹さんと三澤さんと過ごし、夜は再び伊藤家へ。最初は20㌔のエースケ君を車に乗せるのも大変だったようですが、数日たつと自分で乗り降りするようになり、いそいそと通うようになったとか。佐竹さんと三澤さんは「学習能力が高いし、順応性もある」と口をそろえますが、車に早々に慣れたのもその一つでしょう。初めは抵抗して歯を当てることもあったハーネスの装着も、わずか1週間でできるようになりました。

 

 預かり期間中にエースケ君と家族になることを真剣に考え始めた2人は、脱走しないよう庭をしっかり囲むこと(もちろん佐竹さんの手作り!)と、舞台公演中など長期不在になるとき頼れる預かり先を確保することを条件に、譲渡へ向けたトライアルへと移行しました。お散歩では楽しそうに尻尾を振って歩くようになり、7月中旬のワクチン接種の際は、診察台の上から信頼しきった目で佐竹さんを見ていたと言いますから、正式譲渡も近いでしょう。

 自治体にもよりますが、野犬は行政機関に捕獲された場合、人馴れしていないという理由で譲渡対象になれないことが多いもの。でも、エースケ君のように大きなトラブルなく短期間で人馴れし、家庭犬への道を歩める犬もいるのです。命の可能性を簡単にあきらめてはいけないと、エースケ君は教えてくれています。

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