リアリティ恋愛番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラーの木村花さんが22歳で急死後、インターネット上での誹謗中傷を問題視する声が相次いでいます。インターネット上では相手の感情が見えにくいため、今後はこうしたことを防ぐための対策は必要となるでしょう。
昨今の動画配信やリアリティを求めた番組は、視聴者との心理的な距離感が近く、登場人物が発した言葉をリアルな言葉として受け止めやすくなります。そのため、視聴する側も提供する側も一定の距離を確保できるように工夫しておくことが大切です。
しかし、一時的に感情移入をしたとしても、人はなぜ自分とは直接関係のない人に対して攻撃性を向け、誹謗中傷の行為へと駆り立ててしまうのでしょうか。
自分よりも恵まれている人が単純に羨ましかった
インターネットで中傷を行っていたAさんは「中傷しているつもりはありませんでした。昔から努力しても親からは褒められることはなく、自分よりも恵まれている人が単純に羨ましかったんです。私も以前は中傷されていました」と語りました。
「羨ましい」という気持ちのことを、心理学的には「羨望」と呼びます。羨望は嫉妬に似た感情ですが、嫉妬は愛着のある人物が自分以外に関心を向けているさまに対して生じる感情で、その者の愛情を得ることを目的としています。
一方、羨望は自分とは直接利害のない者に対しても生じる感情で、他人の満ちた状況を見聞きすることへの苦しみと破壊を秘めた感情といえます。
羨望にとらわれやすい人は、他者の評価に敏感で、自身もまた無意識的に羨望の的となるような動きをしていることも少なくありません。本質的には愛情に飢えており、本来自分が得るはずだった羨望される姿を対象者に映し出し、その者を攻撃することによって自分と同じ心的な状態を作り出し、安心しようとする心性が働いています。
一見矛盾しているようですが、攻撃を向けることで対象者とはつながろうとしており、羨望は誰の心にも生じる可能性があります。そのため、適度な折り合いをつけながら、他者の若さや富、成功を認め、自分にはできなかった達成を喜ぶ姿勢を持つことが大切です。
インターネット上での誹謗中傷は直接の加害者だけではなく、観衆者の心がけも大切です。
もう死んだ方がいいのかもしれない
SNS上で中傷を受けたBさんは、「書いている人もだけど、それを止めてくれない周りの人やそれが許される風潮にも悲しくなりました。誰も信用できなくなって、もう死んだ方がいいのかもしれないと考えていました」と語りました。
Bさんはその後、カウンセリングを頼り、思い止まることができました。「今は話すことで冷静になれたけど、当時は親にも申し訳なくて話せませんでした」と語りました。
中傷を受けた人は、信用する気持ちが低下しており、周囲に助けを求めることでもできず孤独になっていることも少なくありません。傷ついている最中では、「気にしないで」「受け流したらいい」といったアドバイスは他人事のように聞こえることもあるため、共に悲しみ、感情を共有し、“一人ではない”というメッセージを伝え、受けた傷を癒すことが大切です。
人が人を言葉で傷つけるという行為は、SNSの時代よりも古い紙の時代から存在していました。
フロイト、攻撃的な性質を取り除くことはできない
物理学者アインシュタインは精神分析学者フロイトに手紙を送り、「知識人こそ大衆操作による暗示にかかりやすく、致命的な行動に走りやすい。紙の上の文字を頼りに、複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとする」と指摘し、人間の衝動性や問題を解決する方法について尋ねています。
フロイトは心理学的な観点から、「人間から攻撃的な性質を取り除くことはできない」とし、「道徳や美意識にまつわる文化の発展が人間の心の在り方に変化を引き起こす」と説明しています。
私たちの攻撃性は本能的なものでもあります。一人一人がモラルを持ち、自らの行いを「美しい」と評価できる美意識を持つことが大切であるといえます。