コロナ禍で苦境の飲食店…元プロボクサー店主のラーメン店では「鍋」持参のテイクアウト開始

北村 泰介 北村 泰介

 コロナ禍による外出自粛や休業要請で苦境に立たされる飲食店。そんな中、元プロボクサーで、47歳の今も現役格闘家である神戸のラーメン店主が独自の営業活動を模索している。これまでの歩みと現在の取り組みを聞いた。

 神戸市内のJR兵庫駅から徒歩8分の街中にある「気合いのラーメン つぼ」を営む坪井将誉さん。中学生の時に老舗の神戸拳闘会ジムに入門して練習生に。育英高校では柔道家の篠原信一さんやオリックスにドラフト2位で入団した戎信行さんと同学年で、卒業後、一門の千里馬神戸ジムから93年にプロデビューした。

 連敗が続き、片仮名表記「ツボイマサタカ」に改めた。当時の後輩・長谷川穂積さんにとって初のスパーリング相手も務めた。「長谷川にも(一門の)西岡利晃にもスパーリングで倒されました」。2000年4月の試合を最後にリングから去った。ライトフライ級など4階級での戦績は3勝(2KО)13敗1分けだった。

 「ボクシングやめて、自分の好きなことってなんやろって思た時、ラーメンを食べることやったんです。どんなご馳走よりもラーメンが好きで、減量でもその時の体重によって、汁なし、汁3分の1とかって調節して食べていた。自分の好きなことを一生したいと思った時、ラーメン屋さんしかないと」

 地元の人気店で修業し、07年にオープン。「カウンターだけの店で10席です。広さはトイレも厨房も全部含めて8・5坪。ただ、スープ作りに命をかけているので、客席より、厨房のほうが広いです」。店内には試合の写真も貼った。

 母と共に店を切り盛りする。「最初の数年は厳しかった」というが、豚骨と鳥ガラ、野菜を13時間かけて煮込んだスープによる塩ラーメンなどが口コミで評判になり、13年には関西テレビの情報番組「よ~いドン!」に出演。スタジオでカレーラーメンを作り、番組内で「隣の人間国宝」に認定された。坪井さんは「みなさんCMの間も食べてくださって、うれしかった。ハイヒール・リンゴさんには『おいしかった』と絶賛いただきました」と振り返る。そこから客足が一気に伸び、多い日で1日100人以上になったという。

 深夜3時までの営業で、翌日分の仕込みもして店を出るのは朝6時。睡眠は平均3時間。11時からの昼営業と夕方6時からの夜営業の間はトレーニングに充て、「ラーメンつぼ」のリングネームで立ち技系プロ格闘技の大会に出場している。「リングが忘れられず、現在も戦っています。店では座ったら寝てしまうのでずっと立っています。ラーメンも格闘技も楽しくて全然しんどくありません。強い体に生んでくれた母に感謝しています」という。

 そんな日々をコロナが襲った。「3月下旬から客足が少なくなりました。常連さんが20人ほど来てくれていますが、多い時で100人、平均70~80人だったので、家賃や人件費を考えると厳しいです」。その打開策として「鍋ラーメン」を始めた。

 「持ち帰りラーメンはじめました。両手鍋、フタ付きをもってきてください。残ったスープで、おじやもおすすめです」。23日にツイッター(@tsubo1234)やブログ、フェイスブックで告知した。店内料金は据え置き(塩、みそ、しょうゆは700円、カレーは780円から)。初日に2人、26日には4人が鍋を手に来店した。「1人前から、同じ種類なら人数分入れられます。片手鍋の方はタオルなどを持ってきてください」と呼びかける。「家で食べられてうれしい」という声が励みになった。

 「負けてばかりのボクシング人生、このままでは終われない。そう、何度も自分に言ってきた。今は大好きなラーメンを作り、お客さんからの『ありがとう』の言葉が自分の『勝ち』になる。お客さんがラーメンのスープを全部飲み干してくれた時、僕は初めて人生で認められたと思えるんです。お客さんが『おいしかった。また来るわ』と言ってくださると、試合に勝ったような気がします。ラーメンの一杯一杯が僕にとっての『真剣勝負』です」

 店のモットーである「気合いと情熱」を鍋に込め、坪井さんは今、厨房というリングで闘う。

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