通過待ちで差し入れ、意外なあだ名も…運行終了の「鮮魚列車」元運転士が語る思い出

広畑 千春 広畑 千春

 ―行商人の方々も昔はたくさん乗ってらしたんでしょうね。

 「私が経験した中では、入社したころはまだたくさんのお客さんがいました。1日100人ぐらいですかね。でも最後は10人ぐらいになった。気のいい人ばかりで、夕方の帰りの電車は一日の仕事を終えて帰るだけなので車内で一杯やってる人も寝てる人も。午後6時半ごろかな、榛原駅で15分ぐらい通過待ちをするんですが、その間にホームの後ろの方に呼ばれてお刺身やらスナック菓子やらもらったこともありました。『運転士さんも、ほれ』なんて。晩飯が入らんぐらい食べさせてもらったこともありました(笑)。昭和の最後らへんかな。本当に、今なら絶対に許されないでしょうが、そんなのどかな時代でした」

 一岡さんは、2004年からは特急の運転士になったため鮮魚列車の乗務からは外れ、その後、スカウト(!)され笠松競馬場の公認予想屋に転職。「大黒社」としてテレビなどにも出演しており、「せっかくの人生、やりたい仕事をやりたい、と思ってね」と笑います。

 退職後も朝、競馬場に行くときに、桔梗が丘駅で鮮魚列車が止まっているのをよく見かけていたとか。「桔梗が丘は停車駅なんやけど、ドア開けて0.1秒ぐらいで閉めるんです(笑)。それでも開けるのは一応、ルール上そうなっているから。でも乗務していた当時もその後も、降りる人も乗る人も見たことがない。ずっと昔の全盛期には乗り降りする人もいて、その名残だったのかもしれないですね」と話します。

 近鉄によると、14日からは一般車両の最後部に鮮魚運搬専用車両を連結して運行し、現在の鮮魚列車は「伊勢志摩お魚図鑑」というラッピング車両に生まれ変わるそうです。運行最終日の13日、ツイートにかつての鮮魚列車のスジ(鉄道運行図表)や停車駅などを記したカードの写真を投稿した一岡さんは「これで最後とは、寂しいね。自分にとっては乗りたかったし、乗るのが楽しかった列車だった。せっかくなら一緒に写真を撮っとけばよかったなあ」と名残を惜しんでいました。

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