1985年に誕生し、一世を風靡(ふうび)した女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の中心メンバーだった新田恵利は、現在91歳の母・ひで子さんの在宅介護に取り組み、その経験を元に企業や官庁などで講演活動を続けている。
バブル景気の入口にあった時代、平日の夕方5時から放送されたフジテレビ系「夕やけニャンニャン」(85年4月~87年8月)。埼玉の県立高校3年だった新田は授業が終わると電車を乗り継ぎ、新宿区河田町にあった同局に通った。
おニャン子入りのきっかけは「ハワイに行ける」
「オーディションで優勝すればハワイに行ける」と、高校の先輩に聞かされて応募した普通の女子高生。「毎日が文化祭みたいな、そんな気持ちでしたね」。それが「おニャン子の顔」として、あっという間に人気アイドルになった。
「後から考えると、メンバーにはプロを目指していた人もいたのかと思うけど、当時の私は芸能人という意識はなかった。自分の中では何一つ変わっていない間に、周りの目が変わっていくのに驚いたし、怖かったですね。変わりなく接してくれた高校の同級生には今でも感謝しています」。17歳の少女は巨大な渦の中で戸惑いながら頭角を現した。
「冬のオペラグラス」はオリコン初登場1位
86年の元日に発売したソロデビュー曲「冬のオペラグラス」はオリコン初登場1位を獲得。発売1週間前のクリスマスイブに他界した大正元年生まれの父への思いを込めた。「私のトレードマークは笑顔。父が死んでも笑顔で歌う、その状況は精神的にはきつかった。ただ、この曲は12月半ばから番組内で歌っていて、父は亡くなる直前に聴いてくれた。ギリギリでも間に合ってよかったです」
おニャン子には1年半在籍し、86年9月に卒業。その後もテレビや舞台などで活動し、29歳で結婚した。
「おむつフィッター」の資格を取得
転機が訪れる。母が骨粗しょう症の背骨を圧迫骨折し、2014年から神奈川県内の自宅で介護生活に入った。日々の中で「排泄は食べること以上に大切なこと」と実感。一念発起して「おむつフィッター」の資格も取った。
自身も16年に脳動脈瘤の手術を行った。「事務所をやめ、母親の介護を始めた、この2つのストレスで、3年前から経過観察していたこぶが大きくなり、手術に踏み切りました」。体調に気遣いながら、マネジャーを務める夫と立ち上げた個人事務所をベースに、兄と交代で母の介護をしながら仕事を続ける。
近年、介護体験を踏まえた講演を企業や金融庁などで行ってきた。自身のサイトでは「恵利の談話室」というコーナーを立ち上げ、介護に通じる企業の現場を取材して執筆している。
「母を通していろんな『気づき』がありました。他人事じゃなく、突然、介護をする時はやってくるということを伝えたくて講演を始めたんですけど、昨年後半くらいから同世代の参加者が増えてきてうれしいです」。気が付けば、かつてのファンも親の介護が現実味を帯びてくるアラフィフになっていた。「介護のことには触れたくないとは言っていられない」。そう、高齢化社会を実感する。
ソロで20年ぶりライブを開催へ
52歳の誕生日から3日後の3月20日、デビュー35周年ライブを東京・渋谷の老舗ライブハウス「エッグマン」で開催予定。「ソロでは約20年ぶり。ファンの方への感謝のライブですね」。おニャン子から35年。「あっという間でしたね。感謝の一言です」。そう、実感を込めた。
「終(つい)の棲家」として静岡県の熱海に購入した住宅をリフォームし、夫や愛犬と暮らす日の準備も進めている。夢は「世界一周旅行」。その日に向け、家族と共に歩む。
◆新田恵利(にった・えり)1968年3月17日生まれ、埼玉県出身。85年4月、おニャン子クラブの会員番号4番としてデビュー。現在、ラジオ日本「加藤裕介の横浜ポップJ」で火曜日パートナーとして出演中。講演や出演情報は新田恵利オフィシャルサイトで。