子どもに先立たれる親の気持ちとは、どんな地獄があるのでしょうか。私には子どもがいませんが、2人の子どもをもつ兄がよく話してくれました。子どもが少々やんちゃなのはいいし、手を焼くことがあってもいい。でも親より先に逝くことだけは、1番の親不孝だ。
私が湯灌を行ったのは約250体です。この経験の中でも強烈に記憶に残っているのが、お子様の湯灌です。さらにホンネを申し上げると、記憶に残っているというより、反省の気持ちで忘れられないと言ったほうがしっくりきます。
その日の湯灌は小学生の男の子だとパートナーから聞いて、冷静な気持ちで行えるかなと不安になり、深呼吸をして現場に向かいました。ご遺体が安置されているお宅に到着すると、玄関で出迎えてくださったのはお父様でした。しっかりとした足取りで故人の眠る部屋へ誘導しながら、納棺の際にお棺に入れたいものなどを説明してくださいました。
布団に眠る故人は、鉄棒で遊んでいる時に突然倒れ、あっという間の出来事だったとのこと。大人のようにゴツゴツしていない、柔らかい手を見ていると、胸がかき乱されそうになりました。それをぐっとこらえ、湯灌を淡々と進めました。湯灌中、子どもの指に、鉄棒から落ちた時に出来たような、少し深い擦り傷を見つけたので、絆創膏を貼り次の作業にうつりました。
親御様から渡された野球のユニフォームを故人に着せようとしたとき、お父様がお子様の側に来られ、体を撫でられたのです。その時、故人であるお子様の指から血がながれてお父様の腕についてしまったので、私はとっさに「申し訳ございません、血液がついてしまいましたね」と謝りながら血液をふき取ろうとしました。血液は病原の媒介の原因になりやすいので、扱いに十分注意するというのが、私の知識にあったからなのです。
すると、先ほどまで冷静にお子様を見守っておられたお父様が、怒鳴られたのです。「私の子どもの血だ!汚くない!ふくな」。そう怒鳴ったあと、嗚咽して泣かれたのです。私は取り返しのつかないことをしてしまったと思い、お父様のお気持ちも考えず、とっさの行動をしてしまい申し訳ないと、他のご親族に謝罪しました。でも、どなたも責めることなく「気にしないでくださいね」と、許してくださいました。
血液について適切に対応することは大事なことですが、それより大事なのは「人の気持ち」ということを忘れていた気がします。いえ、本当は、どちらも優先するのが正しいのかもしれません。もしかすると、もっと他の対応の仕方があるのかもしれませんね。
子どもを亡くした親御さんは悲しみのどん底にあり、それはこれからもずっと続くのでしょう。でも、人は生きていかなくてはいけないのです。親御さんだけでなく、参列したすべての人が子どもの死の理不尽さを嘆いていましたが、でも明日はやってくるのですよね。生きるとは何なのでしょう。そして、死ぬということはなぜ与えられたのでしょう。小さな子どもが燃やした命を、今生きている我々が懸命に生きねばと、改めて感じます。