竹でできた「どこでも茶室」で一服いかが 百貨店や無人駅で茶を点てる禅僧「不完全は美しい」

京都新聞社 京都新聞社

 トロッコ列車が走る線路は、今年、開通120年の節目を迎えた。歴史は1899年8月15日、京都―舞鶴間の鉄路の敷設を目指した民営鉄道、京都鉄道による嵯峨―園部間全通にさかのぼる。保津峡の断崖絶壁の区間は、トンネル8カ所、橋梁[きょうりょう]は50カ所を超えたとされる。その後、国鉄に引き継がれ、1989年3月、複線化に伴う新線移行まで、京都市と府北部をつなぐ基幹路線だった。

 トロッコ保津峡駅は29年に信号場として開設、36年に旅客駅化し国鉄保津峡駅として開業した。89年の新線移行で一時使われなくなったが、91年に嵯峨野観光鉄道の開業に伴い、再開業した。

 こうした歴史を振り返り、井上社長は「120年前、鉄道が通って、一番の工事の難関がまさにトロッコの線。ここを使わせていただいているのは、先人の思いを引き継ぐこと」と語る。そして「列車を運転するだけでなく、保線や車両のメンテナンス、落石防止、そんな努力があって、一本の列車を走らせることができる。劇団のようなもので、舞台に立つ役者だけでなく、大道具や小道具、照明…、誰一人欠けても走れない」と一人一人の重みをかみしめる。

 戸田住職は「みなさんの努力で血が通っているような気がします」と、一碗を勧めた。

 茶室を出た井上社長は「最初はしばし緊張があったが、進むにつれて自然に心が安らぎ、途中で川の音やセミの声が聞こえてくるようになった。仕切られた空間の中での、規律と自然とのギャップで、心が落ち着いていることを感じることができた」と茶会の楽しみに触れた。

 茶会の最中、満員の乗客を乗せたトロッコ列車が停車した。ホームで繰り広げられる光景に、珍しげにカメラやスマホを向ける乗客たち。二人は笑顔で手を振った。これもひとときの出会いと。

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