即応予備自衛官の出番はいつ?…あの夜、隊員たちは「行きます」と即答した

平藤 清刀 平藤 清刀
東日本大震災では初めて即応予備自衛官が招集された
東日本大震災では初めて即応予備自衛官が招集された

2011年3月11日の深夜、すでに就寝していた私の枕もとで、携帯電話の着信音が鳴り響いた。画面には「第○中隊」と、自分が所属する中隊名が表示されている。

「ふぁ~い」

昼間、東北で起こった大地震の影響で、訓練日程を変更するという連絡だろうか。しかも、こんな夜中に? すっかり寝ぼけていた。

「災害派遣の可能性があります。――っていうか、ほぼ決定です。出られますか」

電話の向こうから常備隊員の声が興奮気味に告げる。即応予備自衛官に対して、フルタイムで勤務する現職自衛官のことを常備自衛官または常備隊員という。そして編制の主体を即応予備自衛官で構成する部隊を「コア部隊」といい、ふだんは指揮官以下の本部要員と基幹要員として少数の常備隊員が勤務している。

「出られますか!?」

即応予備自衛官はそれぞれに仕事をもっているから、形式的とはいえ一応1人ずつ電話をかけて確認しているのだ。

一瞬にして眠気が吹っ飛んだ。

この局面で、迷いなんかあるわけない。もちろん「出ます!」と即答した。

防衛省のホームページによると、即応予備自衛官の任務は「第一線部隊の一員として、現職自衛官と共に任務につきます」となっている。

平成1ケタの時代、「即応予備自衛官制度が発足しますよ」という話が、予備自衛官だった自分たちの耳にもちらほら入り始めていた。志願しようと考えている予備自衛官たちの関心は、本当に出番があるのか? ということ。さしあたって最も出番がありそうな「災害派遣」の可能性はどれくらいあるのか?

「結局、出さないんじゃないの」とか「出られるんだったら、行って役に立ちたいよね」というような話が飛び交っていた。当時、知り合いの自衛官がいうには、目安として「阪神淡路大震災と関東大震災が同時に起ったようなときですかね」とのことだった。「そんなことが実際に起こるのかな?」と思っていた事態が、まさにこの日の昼間に起こったのである。

威勢よく「出ます!」と即答したものの、折しも締め切りの近い原稿を抱えている。クライアントに事情を説明して、分かってもらえるだろうか。電話を切ってすぐメールを打った。どんな返事が来るか。降ろされるのは覚悟の上だった。だが、そんな不安は無用だった。メールを打った数件のクライアントすべてから、ありがたいことに「原稿は待ちます」「国の一大事です。行ってきてください」と励ましを含めた返信をいただいた。

ところが、結論からいうと、自分が所属するコア部隊は被災地へ出動するにはしたが、何らかの事情で即応予備自衛官を招集せず、常備隊員だけで出動したのだった。招集命令を受けて出動した即応予備自衛官もいたが、それは広島のコア部隊だった。

後で聞いた話では、あの夜電話を受けて「行きます」と即答した即応予備自衛官は多かったという。日ごろから訓練出頭に非協力的な職場をクビになることを覚悟した者や、小学生の息子を実家へ預けて被災地へ赴く決心をした女性の即応予備自衛官もいる。またある者は、奥さんから「保険に入っているから大丈夫よ」と、意味深な励ましを受けたという。

みんな、自分の事情はさておき、被災地へ赴いて役に立ちたいと考えていたのだ。

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