日本三大祭りの一つ祇園祭。「みやびやかな」「華麗な」といった言葉で表現される山鉾巡行と同じ日に、神輿[みこし]が雄々しく練り歩くことはあまり知られていない。勇壮な神輿渡御[とぎょ]こそが、実は祇園祭の「主役」なのだ。
豪華な織物などの「懸装品[けそうひん]」をまとった山鉾が巡行する7月17日の夕方―。京都市東山区の八坂神社一帯に「ホイット、ホイット」という男たちの掛け声がこだまする。神輿の担ぎ手たちだった。
午後6時半、3基の神輿が八坂神社前に集結し、担ぎ手たちは神輿を高く掲げる「差し上げ」を行う。そして3基は順次、夕日が赤く染める京都の町中へと出発する。
3基の神輿には、それぞれ八坂神社の主祭神である素戔嗚尊[すさのおのみこと]、その妻の櫛稲田姫命[くしいなだひめのみこと]、そしてその子供たちの神霊が移されている。神輿は定められたルートをたどり、3~5時間掛けて氏子地域を練り歩く。やがて深夜に京都随一の繁華街、四条河原町近くにある「四条御旅所[おたびしょ]」に到着する。
御旅所は神輿が毎年置かれる場所で、いわば神輿の「定宿」。ここに1週間置かれる。そして24日、再び氏子地域を通って八坂神社に帰る。
神輿渡御は、ちょうど1150年前に始まった祇園祭の原点にさかのぼる神事だ。貞観[じょうがん]11(869)年、平安京に疫病が流行した。怨霊のたたりと考えた朝廷は、都の中央にある池「神泉苑」に神輿を送り、疫病退散を祈った。これが祇園祭の始まりとされる。
「山鉾は神輿の先触れ」とよく言われる。昼間の山鉾巡行で清められた京都の町に、夕方になると神輿に乗った神々がやってくる。そんな形態が中世以降、祇園祭となっていった。ただ、さらに時代が下ると山鉾ばかりが有名になった。
2001年以降、3基の神輿は八坂神社前の差し上げを行うなど「見せ場」を作ってきた。神輿人気は年々高まり、近年は差し上げを一目見ようと、人垣が何重にもできるようになった。
主祭神の神輿を担ぐ三若神輿[しんよ]会の吉川忠男幹事長(52)は「会員制交流サイト(SNS)の浸透で全国の人に神輿の存在が知られてきた」と胸を張り、「担ぎ手はやはり人に見てほしいと思っている。1人でも多くの人に神輿を目にしてもらいたい」と期待する。
祇園祭の豪壮な神輿ぶりは「はんなり」といった京都の固定概念を覆すものかもしれない。しかし、これもまた、京都だ。まあ、こんなん京都では当たり前過ぎて、京都新聞ではよう書かしませんけど。