映画「羅生門」などに出演し戦後の日本を代表する女優、京マチ子さんが今月12日に亡くなった。作家や映像プロデュースなどマルチで活躍する山田誠二が、「芸に妥協がない」女優魂をもつ故人との思い出を語った。
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京マチ子さんとお会いしたのは、太秦にある京都映画撮影所・現在の松竹撮影所であった。1980年の年末、底冷えする京都のスタジオで、京マチ子さん主演の連続テレビ時代劇「必殺仕舞人」の撮影現場に私はいた。「必殺仕舞人」は、藤田まことさん演じる仕事人・中村主水の「必殺仕事人」に代表される朝日放送の看板番組「必殺シリーズ」の第16作となる。京マチ子さん演じる坂東京山が座長の民謡手踊り一座が諸国を巡り、旅先の虐げられた女の恨みを晴らすという設定である。
溝口健二監督の「雨月物語」や山本薩夫監督の「華麗なる一族」などの例をあげるまでもなく、京マチ子さんは日本を代表する、世界的な大女優である。しかし、撮影所でお会いした京マチ子さんは、謙虚で礼儀正しく、腰の低い上品な方であり、初対面の私にも、それはそれは丁寧に、笑顔で接して下さった。何より以外だったのは、スクリーンで感じる印象と違い、とても小柄なことだった。
「仕舞人」は民謡手踊り一座という設定なので、毎回旅先の民謡手踊りを披露するが、何気なく談笑している京マチ子さんのさりげない身振り・指先の動きから頷き方に笑い方・それこそ足のつま先から毛筋の一本まで、艶やかな舞のようで隙がなく、これが大女優なのだと感心したことを覚えている。京マチ子さんの「仕舞人」は好評を博し、「新・必殺仕舞人」と続き、違う設定で後に「必殺仕切人」のレギュラーも務めた。こうして京マチ子さんはスペシャルも含めると「必殺シリーズ」には4回の登板を果たした。
その間、私は度々取材で撮影現場を訪ね、京マチ子さんはスタッフではない部外者である私の顔をちゃんと覚えておられ、舞うような所作で頭を下げてられ、笑顔で「おはようございます」とご挨拶下さった。毎週毎週披露する民謡手踊りを、過密な撮影スケジュールの中、いつ練習されていたのだろう。カメラの前ではいつも完璧な踊りを見せていた。
京マチ子さんが出演された映画の、数々のエピソードを私がお聞きしても、細かいことまで嫌な顔ひとつせず、丁寧にお話下さった。「必殺仕舞人」で艶やかで温厚な女座長と、許せぬ悪を始末する殺気に満ちた仕舞人の二つの顔を演じた京マチ子さん。座長の時は普段の京マチ子さんで、仕舞人の時は芸に妥協のない、女優・京マチ子さんの顔であった。
◆山田誠二(やまだ・せいじ)作家、映像プロデュース、映像監督、脚本、映画評論、漫画原作(「ゴルゴ13」など)、テレビ・ラジオ出演など、マルチに活動。