「僕の音楽仲間の塩ちゃん、塩谷信廣です」
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塩谷さんは浦田さんとほぼ同期のミュージシャンで、大阪の音楽スタジオに所属するシンガー、ギタリストだった。塩谷さんは特にインパクトのある「シャウト系」の仕事を得意としており、こちらも関西ローカルの有名CMを多数担当。「一時期、大阪で作られたCMの半分くらいは僕の声だった」と豪語するほどである。テレビ番組のレギュラーバンドの仕事も多く、70~80年代は忙しい日々を送ったという。また1992年から2018年春までは、大阪音楽大学短期大学部のジャズ・ポピュラー専攻で教鞭を執っていた。
「伯方の塩に関しては、他の仕事同様、正直そんなに思い入れがあったわけではない。ただ、長いこと使ってくれてるなあとは思っていた。自分が初代だという認識もなかったので、今回の二代目オーディションも他人事でしたよ」と塩谷さん。「初代は誰だ」と話題になっていることについては、「たくさんの人の耳や心に残っていたことが嬉しいし、ありがたい」と素直に喜ぶ。残念ながら動画の撮影は断られたが、ちょっと小声で「は・か・た・の・しお!!!」を披露してくださった。めっちゃいい人、そしてあのCM通りのいい声である。
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さて、SNSなどで塩谷さんの名前が挙がっても、伯方塩業が「初代については人物の特定ができなかった」という見解を崩さないことについては、2人とも「不思議ですね」と首を傾げるが、浦田さんは「確かにこちらにスコアやマスターテープなどの“物証”があるわけではないので、伯方塩業さんとしてもそう言うしかないのかも」と慮る。
「ただ、レコーディングの担当ディレクターを含め、証人はたくさんいますよ。参加したミュージシャンも全員特定できています」と浦田さん。「CMの仕事は匿名性が高いので、思いがけない形で話題になったが、自分たちの作品だということを認知していただければそれでいいです!」