「ダンプ(松本)さんとは、バブルの時代だったんで、アイスペールにヘネシー入れて一気飲みとか。『吐きながら酒を覚えろ』と」。17歳頃から飲んでいた。「どんなに飲んで吐いたとしても二日酔いはなかったんですよ。それが18歳くらいから次の日起きたら頭が痛いってなって、『これが二日酔いなのか』と思いながら、毎日が二日酔いの生活でした」。ケガの痛さも忘れられるからと飲んだ。先輩との付き合い、地方巡業では興行師との付き合いで飲む。二日酔いで朝の練習という過酷な日々だった。
未成年の飲酒が厳しくなった今では考えられなかった時代。中野はプロレス専門チャンネル「サムライTV」で女子プロレスの解説者を務め、現役レスラーと接する中、飲酒とは距離を置く時代に変わったと指摘した。
「今の若い選手は先輩にお酒を強制されることがまずないんじゃないですかね。トップの選手もアスリートとして体を作ることを重要視しているので、グデングデンに酔って体を大きくするという昔の考え方がない。今のお客さんも、昔の“怪獣みたいなレスラー”だったら見に来ない人も多いと思うので」
怪獣みたいなレスラー…。中野自身、ヒール(悪役)転向で「この世のものじゃない何か」になろうとした。その思いが結実した一つの試合が11・14決戦だった。中野は12年1月の引退試合で全女の後輩であり、あの死闘を繰り広げたアジャを最後の相手に選び、熱い抱擁を交わした。
死闘から28年。今年10月には中野区とのコラボで引退後初のプロデュース興行を地元で開催。“中野区をプロレスの街に”という機運を高めた。「これからも活動を続けていきます」。中野は新たな出発に意欲的だった。