ブル中野が明かす「11・14金網デスマッチ」の真実 現在は東京・中野区の観光大使

北村 泰介 北村 泰介
11・14決戦について語った現在のブル中野=都内
11・14決戦について語った現在のブル中野=都内

 “女帝”として女子プロレス界の頂点に君臨したブル中野が今秋、東京・中野観光大使に就任した。JR中野駅近くで飲食店を営み、地域に密着してきた“中野さん”として新たな肩書きが加わったが、そんな中野にとって忘れられない日が「11月14日」。プロレス史に残るアジャ・コングとの金網デスマッチが行われた日である。今も語り継がれる「死闘の伝説」を聞いた。

 1990年11月14日、横浜文化体育館。中野は高さ4メートルの金網ゲージの頂上から飛んだ。マットに倒れたアジャに見舞った決死のダイビングギロチンドロップ。女子プロレスの枠を超えた存在となった瞬間、その時、中野は合掌していた。

 「背骨が突き出て死ぬと思った」。中野はその恐怖を証言した。「金網のてっぺんに登ってみたら、金網プラス自分の身長(170センチ)があって、実際、目線がすごく高かったんですよ。下にいるアジャがすごく小さく見えたんですね」。目の位置は5メートル60センチ以上ということになる。

 「でも飛ばなくちゃいけないんで。これは何か言わないと飛べないなと思って。その時に一瞬、自分が勝手に拝んで、この手が離れた時に飛ぼうと。それでとっさにやりました」。中野は「合掌の意味」を明かした。

 「その時には分からなかったですけど、後からレントゲンを撮ったら背骨が欠けていました」。伏線があった。同年9月1日の金網デスマッチでは理不尽な判定で敗れ、その不完全燃焼を「ノーレフェリー」という試合形式の中、文句のつけようのない最高のパフォーマンスを見せるというプロ意識だった。

 その意識が培われたのが全女の極悪同盟時代。今も「酒」の思い出が強烈に残る。

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