ハトに劇物を混ぜた米を食べさせて殺したとして、大東文化大外国語学部准教授の藤井康成容疑者(51)が鳥獣保護法違反の疑いで警視庁に逮捕された。同容疑者は殺した理由について「鳥にエサを上げる人が嫌で、鳥がいなくなればエサをあげなくなる」と話していたという。教育家の水谷修氏は、この事件を踏まえ、教師のあるべき姿を論じた。
戦後の教育は権威主義からの離脱
明治5年に日本の近代教育が始まってから、1945年の太平洋戦争の終戦まで、一部地域では、1947年に日本国憲法の下で学校教育法が制定されるまで、教育は、天皇の赤子をお預かりし育てる聖職として、日本の社会全体が、また国民のほとんどが捉えていました。
天皇主権の時代ならば、当然のことでしょうが、現在の国民主権の時代においては、間違った考え方です。ただし、この教育聖職論の元で、教育者は、地域社会や父母から尊敬されました。当時の多くの教師たちが、その重い責任感を受けて、自らの倫理的あり方を厳しく自らに科したことは、評価されるべきだと、私は考えます。
戦後の教育は、この教育聖職論のような権威主義に基づく教育からの離脱、つまり教育の民主化から始まりました。児童、生徒、学生も教師と同じ対等な人間であり、教育は、権威や強制によるものではなく、互いの理解の中から行われるべきだという考え方です。
その一方で、教育は、労働であるという考え方も広がってきました。教育者は、自分の時間と知識を提供し、その対価として給与を得る労働者だという考え方です。私は、まさにこの状況の中で、32年間教育の現場で教育を行ってきました。そして、いつもこの教育労働論に違和感を感じていました。