カープ時代はサイドハンドから繰り出すキレのある球を武器に先発、中継ぎ、ストッパーと幅広く活躍した小山田保裕さん(42)。現在はDeNAの球団職員として野球の普及活動を行ったり、ファンイベントの企画、運営に携わるなど、多忙な日々を送っている。
横浜スタジアムのすぐそばにある球団事務所で待ち合わせ。スーツ姿で現れた小山田さんは「今は社会人としてどっぷりやっています。引退して8年もたちますから、自分がプロ野球選手だったことも忘れてますね。周りから言われて“あっ、そうだった”と思い出すぐらいです」と柔和な笑顔を見せた。
城西大を経て、98年度ドラフト5位でカープに入団。今季限りで引退した新井とは同期だった。1年目から1軍で活躍した小山田さんが、最も輝きを放ったのが4年目の02年。開幕からストッパーに指名され、直球でグイグイ押し込む強気の投球で44試合に登板、球団史上初の30セーブを挙げた。
当時を懐かしそうに振り返る。「マウンドでは強気に振る舞っていましたけど、リリーフカーに乗る前は必ず嘔吐(えず)いてました。佐々岡さんや黒田さんら先発の人たちの勝ち星を消すわけにはいきませんから、プレッシャーは相当なものでした」。シーズン終盤は疲れも蓄積し、なかなか3人でピシャリと抑えることができなかった。「ファンの人たちにもヒヤヒヤさせてしまって本当に申し訳なかったと思っています」。元来は気が優しくて穏やかな性格。勝負の世界で勝ち抜くために現役時代はヒゲをはやしていた。「ヒゲをはやすとワイルドというか攻撃的というか、そういうスイッチが入ったんです」と笑う。
04年途中からは先発に転向し、10月7日の中日戦では151球完封勝利をマーク。05年も先発陣の一角として開幕を迎え、5月までに2完封を含む4完投、5勝を挙げてチームに貢献したが、その後は右肩痛を訴え、苦しんだ。08年に横浜へ移籍。1年目は39試合に登板したが、再び右肩痛に見舞われ、10年限りで引退した。通算成績は251試合に登板し、19勝26敗37セーブ、防御率4・04。