尼崎脱線事故に巻き込まれたタカラジェンヌ 傷癒えずも講演活動でリハビリ

あの人~ネクストステージ

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 前向いて生きる万理沙ひとみ
 前向いて生きる万理沙ひとみ

 「あの日ですべてが変わりました」。2005年4月25日を、元タカラジェンヌ・万理沙(まりさ)ひとみは振り返る。兵庫県尼崎市で起きた死亡107人、重軽傷562人のJR福知山線脱線事故に巻き込まれた一人だ。

 祖母、母、そして万理沙と3代続くタカラジェンヌ。現役時代は可れんな容姿と歌声で星組のスター娘役として活躍した。退団後は地元のカルチャースクールなどで、歌やダンスを教えていた。

 その日は大阪で用事があり、川西池田駅で同志社前行きの3両目に乗車。事故の瞬間は「何が起きたのかわからなかった」という。「急ブレーキかなと思ったら、グイっと押され、人が上から降ってきた。気づいたら人の下敷きになっていました」。乗車した車両は衝撃で180度横転していた。

 この事故で右足を粉砕骨折し、左足もはく離骨折し靱帯(じんたい)を痛めた。3度の手術を受けたが、右足には6本のボルトが入ったまま。ゆっくりと歩くことはできるが、もう踊ることはかなわない。いまも痛みは残り、リハビリも続けている。夏場でも「傷痕がひどいので」と黒タイツで足を隠す。

 さらに心的外傷後ストレス障害(PTSD)も発症し、現在も通院している。JR福知山線には乗れず、電車のブレーキや揺れが怖い。事故直後は取材も怖かったが「話すこともリハビリになる」と切り替えた。講演もしているが「事故のことを話すと会場が暗くなるので、最後は明るくタカラヅカの歌で締めくくるんです」と笑顔を見せた。

 10月13日には東京・朝日生命ホールでの日本脳外科医学会オーケストラのチャリティーコンサートにも出演。事故後、初めて一人で東京に行くため、夏前から移動の練習もしている。また仲の良い漫才師の宮川大助・花子にも「今度一緒に舞台をやろうよ」と声もかけてもらっている。

 事故から13年。支えてくれた両親も亡くなった。だがJRとの交渉は終わっていない。「私一人で交渉しなくてはならない。それがしんどいです。早く決着したいですね」と苦笑い。それでも「以前と同じことはできないけど、私の経験を話すことや、歌うことはできる。やれることをやっていきたい」とほほ笑み、前を向いた。(デイリースポーツ・石川美佳)

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