自分にとって最善だと思っている行動でも、相手にとっては苦痛ととられるかもしれません。漫画家・井原タクヤさんの作品『運命など存在しないので』の抜粋エピソード『意思決定コスト』は、婚活がうまくいかない男性の深層心理に迫る話として、X(旧Twitter)にて注目を集めています。
37歳の男性・田端は結婚相談所にて婚活に励むものの、4人連続で交際終了となっていました。落ち込む彼に対し結婚アドバイザーの柏木は、田端の方にも改善するべき点があるのではないかと考えます。
交際を打ち切られた理由には、「フィーリングが合わない」「リードしてくれなくて疲れた」などと書かれていました。しかし田端は、リードするような威張った振る舞いなど自分にはできないと、頭を抱えます。そこで柏木が、相手とのデートの日程やお店はどのように決めていたのかと問うと、田端は押し付けがましくならないように「基本的に相手に聞いて合わせていましたよ」と答えました。
この返答から、柏木は田端の抱える本当の問題を見抜きます。それは相手に譲っているつもりで、実は考えるコストを相手に丸投げしているという『意思決定コスト』の問題でした。これは家庭の不満としてよくあげられる、「夕飯なにがいい?」と尋ねられて「何でもいいよ」と答えると怒られる話に似ているといいます。
じつはこの問いかけは、「献立を決めるための情報収集」「時間やバランスを考える制約整理」「献立の選択・判断」「その献立に不満が出ないよう確認する」といった、一連のコストを分担してほしいという作業依頼なのです。デートの日程調整やお店選びもこれと同様であり、そうしたコストをある程度こちらで引き受けることこそが、本当の気遣いでありリードなのだと柏木は諭しました。
それを聞いた田端はさらに落ち込み、なぜ日ごろのやりとりから男性ばかりがリードしなければならないのかと、不満をこぼします。その背景には、お見合いのお茶代やプロポーズを、男性側が担わなければならないという不平等さもありました。しかし柏木は、「婚活市場に男女公平など初めからありません」と断言します。
柏木自身も、この現状が正しいとは思っていません。しかし現在の婚活市場は、男性が先にコストを引き受けることで、初めて関係が成立する構造になっているのです。「『公平さ』を取るか『結婚』を取るかは、あなたの自由ですよ」とコストの選択を迫られた田端は「そんなこと言われたら頑張るしかないじゃないですかぁ~~~~」と、泣きながら結婚相談所を後にするのでした。
読者からは「この視点は目からウロコだった」「婚活じゃなくても大事な話…」などの声があがっています。そこで、作者の井原タクヤさんに話を聞きました。
題材は『婚活』であっても、描く問題は誰でも自分ごととなりえるテーマを
――同作で「選択を丸投げする問題」について、婚活のテーマを取り入れたきっかけを教えてください
このエピソードに登場する田端さんは第26話で初登場するのですが、マッチングアプリでの婚活がうまくいかなかったので、結婚相談所での活動に切り替えたという経緯を持つ人物でした。そのときから「マッチングアプリでメッセージのやりとりが続かず、会うところまで漕ぎつけられない」という人物像を持っていたので、今回は「なぜこの人は、うまくいかなかったんだろう?」と、その原因を掘り下げるところから物語を作りました。
そこで考えたのが、「意思決定コスト」という問題です。田端さんは、相手を尊重しているつもりで、「いつがいいですか?」「何が食べたいですか?」と判断を相手に委ねてしまう。それが積み重なると、相手は毎回考えて決めなければならず、少しずつ疲れていく。まだ関係性ができていない相手なら、短時間で「ダルいから会わなくていいや」になる。
そして、これは婚活の場だけで起きている問題ではないと思いました。田端さんはおそらく、仕事でも友人関係でも、本人が気づかないまま同じようなコミュニケーションをしているのではないかと思います。本作は婚活という題材を扱っていますが、そこで描く問題は婚活をしている人だけの特殊なものにしたくはありません。
読んだ人が、自分の夫婦関係や恋人、友人、職場でのやりとりを思い返して、「自分も相手に意思決定の負担を渡しているかもしれない」と、誰にとっても自分ごととなりうるテーマとして受け取ってもらえるよう意識しました。
――田端さんのような『ピュア』と評される人に対しても、シビアな現実を突きつける柏木さんの姿が印象的でした。柏木さんを描くうえで、意識していることはありますか?
柏木は厳しいことを言うキャラクターですが、「厳しくすること」を目的にしているわけではなく、「本人が自分の人生を選ぶためには、まず判断材料が正確でなければいけない」という信条があります。だから相手がどんな人間であろうと、その人に合わせて都合よく現実を捻じ曲げて伝えたりしません。傷つきそうだからと現実をぼかすことは、その場では優しそうに見えますが、実は本人の選択や意思決定を邪魔する行為ですらあると考えています。
田端さんも、決して悪い人ではありません。むしろ、女性に判断を委ねすぎてしまったのは、相手を尊重しよう、押しつけがましくしないようにしようという善意からです。しかし、本人としては善意からした行動だからといって、それが人間関係において好意的に受け取られるとはかぎらない。その現実を正確に伝えたうえで、それでも結婚を目指して変わるのか、そこまでして結婚したくはないと思うのか、最後に決めるのは本人です。
相手の人生の選択を奪わないこと。そのためには、厳しい現実を隠さないこと。この点は、柏木を描くうえで大切にしています。
――泣きながら走り去ってしまった田端さんの今後が気になる展開でした。
じつは田端さんは、この次の第34話以降でも続けて登場します。柏木から厳しい現実を突きつけられた彼が、それを受けてどうするのか。そして、ここからは柏木とはまったく違う考え方を持つ新しいキャラクターも登場します。
第33話だけでも、1話完結のエピソードとしてお楽しみいただけるのですが、田端さんがこの現実をどう受け止めるのかまで含めて、1つの物語になっています。この続きは10月20日発売の単行本5巻に収録されていますので、ぜひ続けて読んでいただけたらうれしいです。
<井原タクヤさん関連情報>
『運命など存在しないので』第5巻 10月20日発売
▽ヤンマガWEB
https://yanmaga.jp/comics/%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AA%E3%81%A9%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7
▽電子書籍(Amazon)
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