5月21日に亡くなった作詞家の橋本淳さん。生涯に2000曲以上の作品を手がけ、ヒット作にも事欠かない大作家だが、とりわけ1960年代後半のグループ・サウンズには多大な功績があった。
追悼記事・後編では、橋本さんの作品を数多く演奏したザ・タイガースの瞳みのるさんにお話を聞いた。
グループ・サウンズの王子様路線を確立
――橋本さんは、すぎやまこういちさんとのコンビでデビュー曲『僕のマリー』(1967年)から『銀河のロマンス』(1968年)まで、ザ・タイガースのシングルを5枚連続で手がけられています。
瞳:『僕のマリー』は、当時の淳さんのガールフレンドのことらしいんです(笑)。それはともかく、初めて歌詞を読んだときは「なんて少女趣味なんだ」と驚きました。それまで僕たちがやってきた洋楽とは全然違う世界観ですが、おそらくお父さんの与田凖介さん(児童文学家)の影響を多大に受けておられるんだと思います。
――グループ・サウンズでは、橋本さんの歌詞に抵抗があった方もいたそうですね。
瞳:2枚目の『シーサイド・バウンド』(1967年)は少し違うけど、その次の『モナリザの微笑』(1967年)以降は、また少女趣味。しかも、それまでのブルコメ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)の作風とも少し違う、王子様っぽい内容なんですね。
4、5年前にご本人から聞いて知ったんですが、実はデビュー前のファニーズ時代、すぎやまこういちさんに言われて大阪のナンバ一番に観にきてくれたことがあるそうです。たぶんそのときにある程度、どんなイメージで作品を作るか決まったんじゃないでしょうか。その結果が王子様。ザ・タイガース以降のグループ・サウンズは多くが王子様路線になったので、淳さんと僕たちがグループ・サウンズの方向性を変えてしまったことになりますね。
――たしかに少女漫画に出てくるような王子様感、アイドル感はタイガース以前にはないものです。
瞳:淳さんと僕たちが仕事をしたのは初期の1、2年だけなんですが、振り返るとみんなその時期のイメージが一番強烈だったと言いますよね。
――橋本さんが特にお気に入りの曲は?
瞳:2011年に東京国際フォーラムで久しぶりにタイガースのメンバーたちとライブしたとき、すぎやまさんと一緒にいらっしゃって、「『君だけに愛を』(1968年)がよかった。あの1曲だけで観にきた値打ちがあった」と喜んでくれました。
グループ・サウンズで一番ヒットしたのはブルコメの『ブルー・シャトウ』ですが、その後のブームの熱狂を象徴したのは『君だけに愛を』だと思います。そういう点で、特に思い入れを持ってくれたのかなと。
――どんなお人柄だったのでしょうか?
瞳:一言で言うと"がらっぱち"(笑)。憎めない方なんですが、自由な感覚の持ち主なんです。ラジオとかに出ても、NGな言葉ばかり言っちゃうみたい(笑)。
――もっと線の細い繊細な方かと思ってました(笑)。
瞳:個人的には、そんな印象はないですね(笑)。あとは競馬が大好きなこと、晩年まで精力的にいろんなお仕事の企画をされていたことが印象的です。
――作詞家・橋本淳を振り返って。
瞳:これまで挙げたもの以外にも、ブルコメやオックスに書いた北欧っぽいイメージの歌詞は斬新だったし、シャープ・ホークスの『遠い渚』なんて、個人的にすごくいい歌詞だと思います。お会いしたときの快活なイメージとは真逆ですが、あれだけ数々の名曲を手がけられたのは偉大なことだと思います。
また、年が近かったなかにし礼さんにはちょっとしたライバル心があったようで「女を書かせたら彼には勝てない」と、おっしゃっていました。また「日本最後の作詞家は井上陽水」と、おっしゃっていたのも印象的。けっしてアーティストぶらないけど、やはり歌詞というものについては深く考えておられたのかと。こんなに早いお別れになると思っていなかったので、もっといろいろと聞いておけばよかったと悔やまれます。
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ザ・タイガースとの仕事が一区切りついた後も、自ら業界にいざなった筒美京平さんと数々の楽曲を共作し、オックスの『ガール・フレンド』(1968年)、『スワンの涙』(1968年)などヒットを放った橋本さん。
1960年代のみならず数々の名曲を手がけた方だが、個人的にはグループ・サウンズに提供した作品群には、橋本さんの作家性が最も鮮やかに反映されていると感じる。青い瞳の王子様と亜麻色の髪の乙女が、森と泉に囲まれてお話してる…そんな美しすぎる昭和の耽美ワールドが、これからも多くの人に愛され続けるよう願いたいものだ。
余談だが、筆者の亡父は若いころ、橋本さんにあこがれており、ジェームズ・ディーン主演の映画『エデンの東』をイメージした『伊豆の南』という歌詞を送ったことがあると言っていた。今では知る術もないことだが、もし封を開いておられたら、どんな感想を持っただろうか。
瞳みのる(ひとみ・みのる)さんプロフィール
1946年9月22日、京都生まれ。1967~71年までザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から引退。解散直後に高校(京都府立山城高等学校)に復学し、1年間の猛勉強で慶応義塾大学文学部に合格。文学部中国文学科を卒業後、修士課程を経て慶応義塾高校で教壇に立つ。2011年に芸能界へ復帰し、ザ・タイガースのメンバーとも積極的に共演する。9月21日、京都市北文化会館で80歳記念イベント「瞳みのるHa・Pee・y Birthday Event 2026 in Kyoto」を開催予定。
▽公式ホームページ
https://www.hitomiminoru.com/