定期的なワクチン接種は、愛猫の健康を守るために大切だ。だが、その一方で「注射部位肉腫」という病気の存在も知っておきたい。注射部位肉腫とは、ワクチンや他の注射薬を接種した部位に発生すると考えられている悪性の腫瘍だ。
シナリオライターの水鳥たま季さん(@mizudori_tamaki)の愛猫スピカくんは、この病気が疑われる線維肉腫を発症し、8歳で天国へ旅立った。
「家族や愛息子というより、相棒や自分の半身のような存在でした」
売れ残りだった子猫が愛猫に
スピカくんとは、ペットショップで出会った。当時、ひとり暮らしだった水鳥さんは保護猫の譲渡条件を満たせなかったことから、ペットショップへ。生後4カ月ほどのスピカくんは人懐っこく、好奇心旺盛な子猫だった。
しかし、売れ残り扱いされており、生体価格は他の猫よりも驚くほど安かったそうだ。このまま、飼い主が見つからなかったら…。そう思い、お迎えを決意。スピカくんとの生活がスタートした。
スピカくんは、おおらかな性格。掃除機の音やインターホンなどに動じず、シェアハウスしていたころは、家を出入りする誰にでも友好的だった。
子猫のころは特別甘えん坊ではなかったが、去勢手術で初めての入院を経験した後から態度が変化。一緒にベッドで眠るようになった。
「就寝時は、私の手のひらに頭を置く癖がありました。寝返りを打てないので困りましたが、かわいかった」
去勢手術後は寂しがり屋にもなり、水鳥さんがパソコンやスマホに集中していると、ふてくされながら近くで待ち続けていたという。
「視線が自分に戻ると、喉を鳴らして喜んでいました」
右後ろ足のコブから始まった闘病生活
穏やかな日常が一変したのは、2023年の春。右後ろ足にコブができていることに気づき、動物病院へ。検査の結果、悪性腫瘍であることが判明した。
獣医師からは「線維肉腫」と告げられた。だが、自ら情報を集める中で、水鳥さんは注射部位肉腫を疑うようになる。
スピカくんは子猫時代には規定数、成猫時代は3年に1回の頻度でワクチンを接種していた。猫風邪や胃腸炎のときには採血や栄養剤などの注射をしたことはあったが、特別に注射の機会が多かったわけではない。
水鳥さんは、かかりつけ医や大学病院の執刀医に注射部位肉腫の可能性を尋ねたが、断定はできないと言われた。治療方法やペット保険の申請上のくくりが同じであるため、「線維肉腫」として治療がスタート。スピカくんは、大学病院で腫瘍の切除手術を受けることとなった。
2度の切除手術と3カ月間の放射線治療
スピカくんは、歩くのに支障が出ないように腫瘍を切除できた。スピカくんが麻酔から覚めたとき、水鳥さんは人目もはばからずに大泣きし、「これで助かる」と安心したという。
だが、数日後に経過観察のために動物病院へ行くと、腫瘍の再発が発覚。1回目の手術から10日も経たないうちに再手術となった。2度目の手術も無事に終わったが、しばらくは歩く気力がなく、ベッドにも上がれなくなったという。
「目に気力もなくて…。人間のエゴで、自由に歩いたり走ったりする力を奪ってしまった。この子にとっては、何もしなかったほうがよかったのかもしれないと後悔しました」
心境が変化したのは、術後1カ月ほど経ったころ。スピカくんの目に光が戻り、まっすぐ歩けるようになってきたからだ。
その後、医師から放射線治療を勧められた。体にかかる負担を考えて悩んだが、医師から「何もしないと半年以内に、ほぼ必ず再発する」と告げられ、治療に踏み切る。
放射線治療では基本的に、全身麻酔が必要となる。お金はいくらかかってもいいから助かってほしい。そう願ったが、心には「放射線治療も自分のエゴなのでは…」という葛藤もあった。
週3回の放射線治療は、3カ月間続いた。放射線治療は朝一で行うため、毎回、始発に近い時間に公共交通機関を使い、片道2時間かけて大学病院へ。放射線治療には、さらに100万円以上もの費用がかかる。経済的な不安を和らげようと、仕事も増やした。
最期まで求め続けた“手のひら枕”
放射線治療を終えて1年半ほどは、穏やかな日々を過ごせた。だが、2025年の春、咳込み、息苦しそうな姿が見られるように。かかりつけ医を受診すると、多臓器にがん細胞が転移し、自力呼吸が難しくなっていることが分かった。
生きられても2週間ほど。状態が悪化していく場合には、安楽死も視野に――。そう告げられ、緩和ケアに入った。
「少しでも長く家で過ごせるように、酸素ハウスをレンタルしました。届くまでの数日間は、ICUに入院しました」
酸素ハウスが届いた後は、スピカくんの“出してアピール”に悩む。フードボウルやウォーターボウルをひっくり返すほど、酸素室の中で大暴れする愛猫の姿に心が痛んだ。
「残された時間は短い。閉じ込め続けるのはあまりにかわいそうで、自分の判断で1時間置きに10分ほど、酸素ハウスの外へ出すようにしました。スピカは一目散にベッドへ行き、私に“手のひら枕”を求めました」
「やり切った」と思えた闘病生活の終わり
酸素ハウスが届いてから4日目となる2025年4月2日、スピカくんは肺に溜まった水を抜くため、動物病院へ。しかし、タクシーの中で急変し、呼吸不全に陥った。
水鳥さんは病院へ連絡。ペットリュックのファスナーを開け、名前を呼びながら愛猫を撫でた。
「できることは、それだけでした。病院までどうか、もってくれ…と願っていましたが、5分ほど経ったころに叫びが止み、ああダメだった…と察しました」
火葬が行えるまでの3日間、水鳥さんは保冷剤を詰めた箱に寝かせたスピカくんを、何回も撫でたという。
「自分で棺を用意するスタイルの斎場だったので、元気なころに気に入っていた段ボール箱を棺にしました。隣には立派な棺や遺影、お花でワンちゃんを見送るご夫婦がいましたが、悲しみや愛する家族を悼む心自体の差はないと思いました」
知名度が低い「注射部位肉腫」を猫飼いの共通課題にしたい
注射部位肉腫の発症は、まれだ。過剰に恐れてワクチン接種を避けると、他の病気の発症リスクを高める可能性があるので望ましいとは言えない。必要なのは、注射部位肉腫の知識を頭に入れながら、ワクチン接種などを行うことだ。
水鳥さんは知名度の低い注射部位肉腫を、猫を愛する人たちの共通課題として広めたいとの思いから、SNSにスピカくんの闘病を投稿した。
【猫さまの注射部位肉腫について】
わたしの愛猫スピカは、注射を接種した部位から悪性腫瘍が発症・浸潤していく「注射部位肉腫」という病気で亡くなりました。8歳でした。発症率は約1/10000頭、非常に珍しい病気だそうです。…
注射部位肉腫の発症リスクを減らすには、同じ部位への注射を避けることが重要とされている。また、犬猫のワクチンのガイドライン「WSAVA(世界小動物獣医師会)」の2024年版のガイドラインでは万が一、注射部位肉腫が発生した際に外科的な切除を行いやすくするため、首の後ろや背中の中央、肩甲骨間を避け、後ろ足や尻尾などへの接種が推奨されている。
だが、スピカくんの場合は後ろ足に接種していたものの、病気の進行を防ぐことはできなかった。
「スピカは、下肢に近い後背部に打っていました。今はもう少し足先に接種するのが主流になっているかもしれませんが、臓器から距離を取れる尻尾への接種が標準になれば、助かる確率も上がるかもと期待しています」
注射のときは長期的に見て、愛猫を守れる選択を取ってほしい。そう訴える水鳥さんの声は、多くの猫飼いの胸に響く。