「学校に行く」と決めても、体が動かない――。不登校に苦しむ2人のわが子を
見守ってきた母親の投稿が、Xで多くの共感を集めています。
投稿したのは、かめこさん(@KamekoNoSoudan)。「不登校でも未来は終わらない」とつづった思いについて話を聞きました。
不登校のきっかけはすぐそばに
かめこさんには3人の子どもがいます。
長子は学校行事の練習中、教師から学年全体の前で大声で叱責され、過呼吸になりました。さらに、運ばれた保健室まで追いかけてきた教師に追い詰められたことをきっかけに、パニック障害を発症。中学2年の終わりから休みがちになり、全日制高校に進学したものの、1年次に再び通えなくなって通信制高校へ転校しました。現在は、体調に波がありながらも、回復しつつあるそうです。
次子は、習い事で足を怪我したことをきっかけに、学校生活で周囲についていけない場面が増えていきました。小学4年生からは、登校できる日に保健室で過ごす形となり、中学校には入学後1週間だけ登校したものの、その後は一度も校舎に入ることなく卒業したといいます。
次子は毎朝「お腹痛い…」と言って起きてこなくなりました。小児科で診ても異常はありません。当時のかめこさんは、学校側の「少しでも学校に足を向けるように」という指導に従い、不調をごまかしながら登校させようとしていたそうです。玄関で石のようにうずくまる次子を、引きずって連れて行ったこともあるとのこと。「言い訳しようもない、ひどいことをした」と、今も悔やんでいます。
不登校の子どもが学習支援などを受けられる適応指導教室からは、「生活リズムを崩さないように」「勉強習慣を失わないように」と、学校に戻るための助言をされることもありました。しかし、すでに苦しんでいる親子にとっては「ただ追い詰められる言葉だった」と振り返ります。
「もういいや」の一言で、肩の力が抜けた
当時はフリースクールや親の会などの支援もなく、不安や焦りを一人で抱えるしかありませんでした。周囲からの「大丈夫だよ」という励ましや、明るい結末を迎えた人の体験談も、当時のかめこさんは、素直に受け止められなかったといいます。
取材では、その頃の心境をこう振り返りました。
「未来の保証なんて何もできないくせに、今の私がどんなに苦しいかも本当のところ分からないくせに……」
Xの投稿では、そのときの重苦しい感情を「そう言われたところでぐちゃぐちゃになる心」と表現しています。
中学入学後、わずか1週間で学校に行けなくなってからは、登校を強いることはしなくなりました。それでも、学校や適応指導教室から言われていた「整った生活をさせること」には強くこだわっていたそうです。
転機は、中学3年のときに次子が口にした「中学校はもういいや」という一言でした。
その瞬間、「ああ、いいのか。じゃあ私も、もういいか」と肩の力が抜け、不安や焦りが、霧が晴れるように消えたといいます。「学校に戻さなければ」という思いを手放せたことで、かめこさん自身も楽になったそうです。
その後、かめこさんは子どもの主体性を尊重し、見守る姿勢を大切にするようになりました。意識したのは、「何を言うか、するか」よりも、「何を言わないか、しないか」。子どもの考えや好きなものを理解できなくても、否定しないことを心がけたといいます。
大切なのは「笑って明日を考えられること」
学校との関係は比較的良好で、かめこさんの「積極的な登校(を促す)刺激をせず見守ってほしい」という姿勢は、学校側にもおおむね尊重されたそうです。
かめこさんは、不登校の問題の本質について、「学校へ行けないこと」そのものではなく、心身のエネルギーが枯渇していること、そして、親子が自分を責めてしまうことにあると感じています。
「心身が出したヘルプは弱さでも罪でもない」「ご飯を美味しく食べられる心身より大事な学校なんてない」と語ります。
現在、次子は県外で一人暮らしをしながら、勉強やアルバイトに励んでいます。不登校を経験した2人のわが子は、今では「笑って明日のことを考えられる」場所にいるそうです。
投稿には、「無事に子どもが居場所を見つけられてよかった」「わが子も不登校なので、参考になります」といった共感の声が寄せられています。
「学校に行けないこの子はどうなるの」と不安になる親は少なくありません。未来を保証することはできません。それでも、5年以上の期間、不登校を経験した子が今、元気に笑って暮らしている。その事実は、同じ不安を抱える人にとって、一つの希望になるのかもしれません。
かめこさんは取材に対し、こう話します。
「不登校は、今の学校が今の子どもの状態に合わない、ただそれだけ」