AKB48の元メンバーで、現在は俳優として活躍している野呂佳代。最近次々とドラマに出演、その多くが高視聴率となっていることで注目を集めている。
「野呂」は地名由来の名字で、「野呂」地名は各地にある。このように同じ地名が各地にある場合は、地形がルーツとなっていることが多い。
では「のろ」とはどういう場所かというと、大きく2つの説がある。1つは泥地や湿地などで「ぬるぬる」していることに由来するという。こうした場所は稲作に適しており大事な場所だった。
もう1つは傾斜地に因むというもの。道路などを造るために人工的にこしらえた斜面のことを「のり面」というように、古い時代には傾斜地のことを「のり」ということがあった。この「のり」から派生して、傾斜地のことを「のろ」ともいったという。
いずれにしても、そうした場所を指した「のろ」に漢字をあてて地名となり、やがてそこに住んだ人が「のろ」を名字とした。最も多いのが「野呂」で、「野露」や「能呂」は珍しい。
現在、「野呂」という名字が最も集中しているのは、青森県の津軽地方から秋田県北部にかけての地域。
中でも青森県つがる市には「野呂」が多い。江戸時代、つがる市の木造には大規模な新田を開発した豪農の野呂家があった。初代太左衛門は深浦の出身で、2代目理左衛門の時に3代藩主津軽信義によって取り立てられ、以後代々新田開発に力を注いだ。
次いで多いのが三重県で、松阪市と多気町に集中している。なかでも、多気町に合併した旧勢和村では村の最多名字が「野呂」だった。
ここには古くから野呂氏があった。桓武平氏の出というがはっきりせず、南北朝時代以降代々伊勢国司北畠氏に属して、安濃郡椋本(三重県津市芸濃町)に住んでいた。戦国時代まで北畠氏に仕え、その没落後は浜松に転じて徳川家康に仕えた。江戸時代は旗本となっている。
この他にも、甲斐国山梨郡野呂郷(山梨県笛吹市一宮町)をルーツとする、古代豪族三枝氏の末裔という武家の野呂氏や、文徳天皇の子孫という下野国の武家の野呂氏など、各地に様々なルーツを持つ野呂氏がいたことが知られている。