近年の日中関係は、歴史的な経緯や地理的な近接性から生じる宿命的な緊張を内包しつつ、かつてないほど複雑かつ構造的な難局に直面している。
高市首相による「台湾有事は日本の存立危機事態となり得る」という発言に端を発した政治的摩擦は、日中関係の冷え込みを象徴しているが、この摩擦の根源は、もはや単なる日中という「二国間」の枠内では収まらない、より大きな国際構造の変化に起因するものであると認識すべきである。
「二国間の外側」の力学も影響
歴史を振り返れば、領土問題や歴史認識といった二国間の懸案事項により、日中関係は度々冷え込んできたが、現在進行している日中関係の悪化は、従来の「二国間」の力学だけでなく、中国の国力増大とそれに伴う米中競争という国際構造の激変という、いわば「二国間の外側」の力学も影響している。
中国が世界2位の経済大国へ成長し、軍事力や科学技術力においても米国に比肩し得る存在となったことは、既存の国際秩序に大きな変革をもたらした。力のシフトが、米国との間で覇権的な競争を不可避なものとし、太平洋地域全体に新たな緊張の軸を生み出している。日本は、地理的、歴史的、そして何よりも安全保障上の理由から、この米中競争の最前線に位置づけられることはいうまでもない。
長らく「政冷経熱」を維持してきたが…
日本にとって、戦後長きにわたり安全保障の基軸であり続けてきた日米同盟は、この新たな国際環境下でその重要性を一層高めている。米国が対中戦略を強化するにつれ、日本もこれに歩調を合わせ、同盟の深化を図ることは、国家の安全保障上の合理的な選択と言える。
また、経済の領域においても、この構造的な変化は顕著である。中国との経済関係を重視し、長らく「政冷経熱」を維持してきた日本であるが、経済安全保障という新たな概念の台頭により、そのスタンスは変化を余儀なくされている。サプライチェーンの強靭化、重要技術の流出防止、特定国への過度な依存からの脱却といった経済安保上の課題は、日本が日米協調に拍車をかける強力な動機となっている。半導体やAIといった先端技術の分野で、日本は米国とその同盟国との連携を深め、対中技術輸出規制や投資審査の強化といった措置を講じ始めている。
負のスパイラルを生み出している
問題の核心は、日本が自国の安全保障と経済的利益のために行うこれらの行動が、たとえ日本側が中国を刺激しないような抑制的な姿勢、中国との経済関係重視路線などを継続しようと試みたとしても、それが中国側の対日不満を助長し、結果的に日中関係を停滞・悪化させるという、一種の負のスパイラルを生み出している点にある。
中国から見れば、日本の日米同盟の深化、経済安保上の日米協調は、米国が主導する対中包囲網の一環として映る。特に台湾問題において、日本の指導者が「台湾有事は日本の存立危機事態」と発言することは、中国の核心的利益に対する明確な干渉と受け取られ、強い反発を招くことは避けられない。
米中競争が日中関係悪化を加速させる
中国は、日本の軍事的な動きや外交的な発言を、単なる自国の防衛強化ではなく、中国の影響力拡大を抑え込もうとする敵対的な行為と認識する。この中国の解釈が、結果として対日強硬姿勢を強化させる。例えば、中国公船による尖閣諸島周辺海域への領海侵入の頻度と継続性の増加、南シナ海や東シナ海における軍事的な活動の活発化、さらには水産物の全面輸入停止などの経済的威圧が、対日圧力として用いられることになる。
日本側は、こうした中国の行動に対し、自国の安全保障上の懸念をさらに深め、日米同盟の重要性を再認識する。この再認識は、さらなる防衛力の強化や、米国との連携強化、そして友好国・同志国との協力拡大へと繋がる。そして、この日本の行動は、再び中国から対中包囲網の強化と見なされ、さらなる反発と強硬な措置を招く。これが、現在の日中関係を特徴づける負のスパイラルのメカニズムである。日中間で生じる緊張や摩擦が、もはや両国間の懸案事項だけでなく、その外側の米中競争という巨大な力の構造を媒介として増幅され、関係悪化を加速させているのである。
極めて困難な二正面外交
日本政府は、安全保障面で米国と強固に連携しつつ、経済面では最大の貿易相手国である中国との関係を安定させたいという、極めて困難な二正面外交を強いられている。 このジレンマは、安全保障と経済が切り離せない経済安保の時代において、ますます深刻化している。
従来の政冷経熱モデルは、技術やサプライチェーンが安全保障の直接的な道具となり得る現代においては、もはや維持が困難である。日本が先端技術の流出防止を目的とした規制を強化すれば、それは技術のデカップリングと見なされ、中国側からの経済的な報復措置のリスクを高める。逆に、経済的利益を優先して中国との関係を深めようとすれば、日米同盟の信頼性や、国家の安全保障上の脆弱性を露呈するリスクが生じる。
この構造的な緊張を根本的に解消することは、米中関係が抜本的に改善しない限り極めて困難であると言わざるを得ない。しかし、日本は、感情的な対立を避け、国家の利益を冷静に見極め、抑止力の強化と外交的な粘り強さという二つの柱を軸に、国際秩序の安定に貢献する外交を継続するべきである。緊張と摩擦が日中「二国間の外」から顕著になる時代において、日本外交には、極めて高度なバランス感覚と、戦略的な柔軟性が求められている。この難局を乗り越えるためにも、国民レベルでの冷静な状況認識と、外交に対する理解が不可欠である。