「もう働き続けられる自信がない」
地方都市で暮らす42歳の会社員Aさん。パートで働く36歳の妻と、小学4年生の娘、保育園に通う5歳の息子、そして72歳の母の5人家族です。
母が脳梗塞を発症したのが5年前のこと。右半身に麻痺が残り、要介護2の認定を受けました。週3回利用しているデイサービス施設から仕事中に連絡が入ったり、帰宅してからもトイレや食事の介助が必要になります。
その傍ら、子どもたちのことも気にかけなければなりません。塾や習い事、保育園の送迎など、妻と協力しても手一杯の日々が続きます
「兄弟や親戚は遠く離れたところに住んでいて、頼れない。でも、施設に入れられるほどのお金もない。誰かがやらなきゃ」と言いつつ、その負担は想像以上のものでした。
地方に残り、親の介護を担う世代の現実は、今も社会の陰に隠れています。
親の介護と子の育児、ダブルケアの現実とは?
親の介護と子育てを同時に担う「ダブルケア」は、時間も心も削られる過酷な現実です。仕事・家事・介護・育児が重なり、睡眠や自分の時間が奪われる日々。支援制度の利用が難しい地域も多く、家族だけで抱え込むケースが増えています。親の介護と子の育児が重なることで、どのような困難に直面しているのでしょうか。
▽普通の生活が維持できない
Aさんは、要介護2の母の介護のために、フルタイムから時短勤務に変更しました。その結果、年収は約200万円減少。
「職場の理解はあっても、結局は抜けた分のしわ寄せがくる。周囲に迷惑をかけたくなくて、結局仕事も家も中途半端」と語ります。
厚生労働省の統計によれば、年間約10万人が介護を理由に離職している現状も。特に地方では介護サービスの事業所数が少なく「デイサービスの送迎がない」「夜間介護が頼めない」といった制約が多数あります。結果として「働くことを諦めざるを得ない」構造が生まれているのです。
▽介護サービスを受けられない
都市部では介護施設や訪問看護の選択肢が豊富である一方で、地方では事業所自体が少なく、ヘルパーの人手不足も深刻です。
「週3回来てくれるはずのヘルパーさんが、2週に1回しか来られないこともある」とAさんは語ります。
厚労省のデータによると、各都道府県で推計された介護人材の必要数と現状とのギャップが示されています。特に2022年度時点では各自治体が必要とする介護従事者の数に足りていない自治体がほとんどであり、2040年度にはこの人材不足がさらに深刻になることが予想されています。
そのため、家族が担う割合が増え、「家族の助け合い」が美談として語られる一方で、実態は「人手不足の穴埋め」になっているのが現状です。
▽親と子どもの板挟みで苦しい
Aさんには、育ち盛りの二人の子どもがいます。
朝は早くに仕事に出勤し、昼休みに母の薬を届け、夜は子どもたちの送迎や晩御飯の準備に、残った仕事の対応。
妻と協力しながらとはいえ、一日が終わる頃には、心身ともに限界を感じるそうです。
「母の介護をしていると子どもや家族に時間が使えない。でも子どもたちと過ごしていると、母のことが気になる…」
2016年に内閣府が行った「育児と介護のダブルケアの実態に関する調査」によると、未就学児を育てながら介護も担っている人は全国で約25万人にのぼるという数字が公表されています。
キャリアの中盤で介護が始まり、家庭との両立ができずに「キャリアを諦める」選択を迫られるケースも珍しくありません。それは個人の問題ではなく、社会全体の構造的課題だと言えるでしょう。
家族の助け合いでは限界がきている
日本の介護政策は長く「家族の支え」を前提としてきました。
一方で、高齢化が進む中で、もはやそれは持続不可能な域になりつつあります。地方では介護人材の不足、交通の不便さ、行政サービスの遅れが重なり、「支え合う家族」自体が疲弊しています。
介護の社会的構造化、つまり、誰かが抱え込まず、 地域全体で支える仕組みをどう整えるか。それが、これからの日本が避けて通れない課題です。
▽少しずつ動き始めた制度改正
こうした状況を受け、2025年4月から改正育児・介護休業法が施行されました。 この改正では、介護休暇の取得単位が柔軟化され、時間単位での取得が可能になるなど、働きながら介護を担う人への配慮が進められています。また、介護のための短時間勤務制度や所定外労働の免除なども拡充され、仕事と介護の両立がしやすい環境づくりが目指されています。
制度が整っても、実際に利用しやすい職場環境が整うには時間がかかるかもしれません。 しかし、社会全体で介護を担う人を支える方向へ、少しずつ動き始めていることは確かです。
静かな地方の町で介護を担う子どもたちの声は「未来の日本の姿」を映しているのかもしれません。
【監修】勝水健吾(かつみず・けんご)社会福祉士、産業カウンセラー、理学療法士。身体障がい者(HIV感染症)、精神障がい者(双極症Ⅱ型)、セクシャルマイノリティ(ゲイ)の当事者。現在はオンラインカウンセリングサービスを提供する「勇者の部屋」代表。