中学受験の志望校選びは、偏差値だけでなく、わが子に合う校風かどうかを慎重に見極めて決めるものです。東京都在住のFさん(40代)は、子どもが小学2年生のときに受験塾へ通い始めて以来、時間をかけて都内の学校を見て回り、「ここならきっと大丈夫」と確信して入学を決めました。しかし、学校案内や説明会では分からない“内側の世界”がありました。
グローバル教育を掲げる私立中に
将来は海外の大学進学も視野に入れ、グローバル教育を掲げる私立中に息子を入学させたFさん。帰国生受験や英語入試がある点に魅力を感じ、英語教育に力を入れていることが決め手でした。ただし子どもは帰国生でもなく、英語を長く学んでいたわけでもありません。公立小学校で週に数回の授業と、気まぐれに観ていた海外アニメが英語経験のすべて。受験も一般的な四教科入試でした。
それでもFさん自身、学生時代に短期留学を経験しており、子どもには国際的な視野を身につけてほしいと考えていました。入学後のクラスには、ネイティブ並みの英語力を持つ子が半数ほど。Fさんは「学ぶより慣れろ」と考え、思い切って飛び込ませました。案の定、息子は数日で友人関係を築き、英語を交えながら楽しそうに学校生活を送っています。
その順応力に感心し、息子をこの学校に入れて良かったと感じました。──ところが、試練は母親の方にやってきました。
保護者懇親会、気づけば周り全員バイリンガル
入学直後の保護者会は、学年全体の説明会のあと、クラス別に行われました。担任は日本人とイギリス人の2人体制。Fさんは名札を胸に、わが子の席に着席し、周囲の保護者に軽くあいさつしました。自己紹介が始まり、普通の保護者会だと思っていたそのとき──。
前列の保護者がすっと立ち上がり、流れるような発音で英語を話し始めました。
え、日本語じゃないんですか。
次々と英語で自己紹介が続き、「日本語より英語の方が楽なので」と笑う人まで。見た目は皆日本人です。Fさんは意味を理解できても、完全に空気にのまれてしまいました。
一学期の終わりには、先生を囲んだ保護者懇親会も開かれました。四人掛けのテーブルでは、「うちの子、英語に全くついていけなくて」「リスニングの宿題が親子で大変」など共感の輪が広がり、Fさんも「うちも同じです」と笑っていました。しかし、イギリス人の担任が登場すると雰囲気が一変します。先ほどまで日本語で悩みを語っていた保護者たちが、一斉に流暢な英語に切り替わったのです。
「Actually, my daughter struggled at first, but now she’s getting better, thanks to your class.」
「Oh, by the way, I wanted to ask about the curriculum for next semester.」
え? さっきまで“ついていけない”って言ってませんでしたか?
Fさんは笑顔を貼りつけたまま、相槌を打つことしかできませんでした。「Would you like some drink?」くらいなら言えたかもしれませんが、それを披露する場面ではありません。
子どもより、親の方が試されている気がする
先生が席を立つまで、テーブルは英会話サロンのような状態。Fさんはグラスを握りしめたまま、数十分がとても長く感じられました。笑顔と相槌でなんとか乗り切り、帰り道にはどっと疲れが出ました。
「グローバル教育」とは子ども向けのものだと思っていたのに、保護者にも求められるとは思わなかったのです。学校選びのとき、「保護者も英語で面談する」と知っていれば、心の準備ができたのにと思いました。
それでも息子は今日も元気に英語の復習に励んでいます。「お母さんも一緒にやる?」と誘われ、短期留学で得た“聞く耳”を活かし、今度は自分の言葉で伝えられるようになりたいと感じています。
あの日の懇親会で味わった疎外感を忘れるには、気の利いた会話ができるくらいになるしかありません。次の保護者会までに英語力を磨く──そう決意しつつも、ソファに座ると「まあ、今日はビール片手にNetflixでも…」とつい誘惑に負けてしまうFさん。やる気と後ろ向きの心がせめぎあう日々が続いています。