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年間400万個売れる「都こんぶ」 会社の危機を救ったのはクセになる「魔法の粉」だった!

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

世代を超えて愛されている「都こんぶ」。箱入りの商品だけでも年間400万個販売、1個130円として概算すると年間5億2000万円の売上という大ヒット&ロングセラー商品。「都こんぶ」が昭和・平成・令和を通じて、多くの人々に愛されてきた理由とは?

「都こんぶ」は創業者の奉公時代、厳しい生活の中で生み出された!

「都こんぶ」の製造元は大阪府・貝塚市に巨大な工場を構える「中野物産株式会社」。そこでお話を伺ったのは4代目社長の中野盛正さん。現在の成功に至るまでの道のりは、成功しかけては壁にぶつかることの繰り返しで、決して順風満帆ではなかったと言います。

「都こんぶ」の生みの親「中野物産」創業者である中野正一氏は、小学校を卒業してすぐに、生まれ育った京都から堺の昆布加工店に奉公に出されました。そこで店主から言われた最初の言葉は「男子志を立て、郷里を出た限りは、死すとも立派な商売人にならなければ、再び故郷へ帰るな」という厳しいものでした。

奉公先では満足に食べることもできず、朝から晩まできつい仕事が続く厳しい生活を過ごしていました。離れて暮らす故郷の両親が恋しい正一さん。さらには育ち盛りのため、空腹に耐えきれず、作業場にあった昆布の切れ端を口にしました。

しかし当然、昆布の切れ端には味がない…そこで正一さんはひとつのアイデアを閃きます!

「甘くて酸っぱかったら美味しいはず!昆布をお菓子として売ってみてはどうか!」

その後、正一さんは1931年に19歳で独立し、『中野商店』を創業しました。

あたためていたアイデアを活かして、昆布を黒蜜入りの酢漬けにし、出身地・京都への望郷から「都こんぶ」と名付けて商品化!

がむしゃらに働いた正一さん。その努力の結果、『都こんぶ』は好調な売れ行きを見せたそうです。特に売れた場所は、昭和の子どもたちの娯楽の中心だった“街頭紙芝居”だったのです!

実は、紙芝居が始まる前に駄菓子が売られており、そこで子どもたちに「都こんぶ」がよく売れたのでした。

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