師走になり、いよいよ「光る君へ」の最終回を残すのみとなりました。印象的なシーンを振り返りながら、怪異学の視点で解説したいと思います。今回は、中宮彰子(演・見上愛さん)の出産のシーンを取り上げます。
ドラマでは、宮中や貴族社会の人生儀礼が描かれていました。彰子が一条天皇(演・塩野瑛久さん)のもとに入内する儀式など、きらびやかな衣装や宴の席が印象に残っています。また、成人した貴族の女性が初めて裳をつける儀式「裳儀」では、まひろ(紫式部、演・吉高由里子さん)や娘の賢子(演・南沙良さん)と彰子のシーンでは随分雰囲気が異なっていました。
現在の成人式は、1946年に埼玉県蕨市で開催された「青年祭」が始まりだと言われています。その様子を見た政府が、若者一人ひとりが大人の一員になったという自覚を持って責任を果たすためには、祝福をすべきだと考えて、「成人式」が始まり、1949年に 1月15日が「成人の日」と制定されました(現在は1月第2月曜日)。何をもって「大人」になるかということについても、それぞれの時代や社会によって変遷があります。しかし、人生の節目節目で儀式を行うことはいつの時代も変わらないものです。
さて、現代の病院での出産と大きく異なっていたのが、中宮彰子の出産の場面ではないでしょうか。前近代では、出産は母子ともに危険になることもありました。中宮彰子の出産については、『紫式部日記』に詳しく記されています。
寛弘五年(1008)の9月10日の記事です。
十日の、まだほのぼのとするに、御しつらひかはる。白き御帳にうつらせ給ふ。殿よりはじめ奉りて、君達、四位五位どもおほくさわぎて、御帳のかたびらかけ、御座どももてちがふほどいとさわがし。
(十日のまだほのぼのと明けそめるころに、ご座所の設備が浄白に模様がえになる。中宮さまは白木の御帳台にお移りになる。殿をはじめとして、ご子息たちや四位五位の人々が、騒ぎながら御帳台の垂絹をかけたり、お座の茵などをあちこちへ持ち運んだりする間は、まことに騒がしい。)
当時の宮中での出産は、白き御帳に覆われた真っ白な空間で行われたことがわかります。
日ひと日、いと心もとなげに、おきふし暮させ給ひつ。御もののけどもかりうつし、かぎりなくさわぎののしる。月ごろ、そこらさぶらひつる殿のうちの僧をばさらにもいはず、山々寺々を尋ねて、験者といふかぎりは残るなくまゐりつどひ、三世の仏も、いかにか聞き給ふらむと思ひやらる。陰陽師とて、世にあるかぎり召し集めて、八百万の神も耳ふり立てぬはあらじと見えきこゆ。御誦経の使立ちさわぎくらし、その夜もあけぬ。
(中宮さまは、その日一日じゅうとてもご不安そうに、お体を起されたり横になられたりしてお過しになった。僧は中宮さまにおつきしているもののけどもを憑坐に駆り移し、調伏しようとこのうえなく大声で祈りたてている。ここ数か月来、大勢詰めているお邸内の僧たちはいうまでもなく、諸国の山々寺々を尋ね求めて、験者という験者は一人残らず参り集り、その祈祷に三世の諸仏もどんなに空をとびまわっておられるかと思いやられる。陰陽師とてもありとある者をみな召し集めて祈らせたので、八百万の神々も、耳を振り立てて聞かないことはあるまいとお見受け申しあげる。寺々へ御誦経の使者がつぎつぎと出立するさわぎのうちに一日を暮して、その夜もそのまま明けた。)
出産にあたっては、諸国の山々で修行している験者や陰陽師を集めるとともに、神々への祈りも行っています。神仏、陰陽道と可能な限りの祈祷が行われています。そのなかで、もののけをよりましに移し、調伏する祈祷が行われたのです。「かぎりなくさわぎののしる」とあり、騒々しい場であったことがうかがえます。また、各地の寺々にも祈祷のための使者が派遣されました。
このような平安貴族の出産の場面は、「餓鬼草子」や「彦火々出見尊絵巻」「北野天神縁起絵巻」などの絵画資料に描かれています。そこには、土器を割る女房の姿や双六盤をつかう巫女の祈祷、鳴弦(弓弦に矢をつがえないで、弦(つる)を引き鳴らす)が描かれています。
死と隣り合わせであった当時の出産に立ち向かう平安時代の人々の心を知ることができるでしょう。紫式部が日記に残した敦成親王(のちの後一条天皇、演・橋本偉成さん)の誕生は、藤原道長(演・柄本佑さん)にとっても、当時の朝廷にとっても待ち望んだ誕生であったのです。