北海道・積丹半島の先端にある「神威(かむい)岬」に立つと、眼下には海面から直立した奇岩「神威岩」が見える。
当地に語り継がれる伝説によれば、ある武将との恋に破れた娘が恨みの念を残して海に身を投げ、この岩に姿を変えたのだという。
義経に恋した娘が海に身を投げ「神威岩」になった
日本海へ突き出ている積丹半島。その先端は「神威岬」と呼ばれ、海面から約80mの高さにある岬の突端付近まで遊歩道が伸びている。そこからさらに視線を海へ向けると、海面からそそり立つ巨岩がある。これが「神威岩」だ。写真では小さく見えるが、積丹観光協会によると高さ約40m、周囲約50mあるそうで、実に14階建てのビルに匹敵する大きさだという。
空から見ても神威岩はよく目立つ。その周りはほぼ全周に近い300度の大パノラマが広がり、丸みを帯びた水平線を望むことができる。
じつはこの神威岩には、いくつかの伝説が語り継がれている。そのひとつが「チャレンカ伝説」という悲恋物語である。要約すると、次のようなストーリーだ。
▽チャレンカ伝説
源頼朝に追われて蝦夷地へたどり着いた源義経に想いを寄せるアイヌの首長の娘・チャレンカ。大陸への野望を持ち旅立つ義経を追って岬までたどり着くが、義経を乗せた船はすでに遠い沖にあった。悲しみにくれたチャレンカは「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」と恨みを残して海に身を投げると、その姿は神威岩に変わった。以来、女性を乗せた船が近づくと必ず転覆したことから、神威岬は女人禁制の地になった。女人禁制は、明治時代の初期まで続いたという。
以上、あくまで長い歴史の中で語り継がれてきた伝説なので、歴史的な検証は野暮というもの。神威岩の姿から生まれた物語である。
海の幸と観光資源が豊富な町
「神威」は「かむい」と読み、これはアイヌ語で神格をもつ高い位にある霊的な存在を意味するという。
神威岬がある積丹町は、人口が1740人(2024年8月現在)。開拓の歴史は古く、明治から昭和初期にかけてニシン漁の大漁場として発展した。今も産業の中心は漁業で、雑味がなくクリーミーな積丹産のウニは有名だ。ほかにも秋はサケ漁、冬はタラ漁など、四季を通して水揚げがあるという。
また、観光地としての知名度も高い。7月の「火祭り」、積丹神威クルーズなど祭りやイベントなどを楽しめるほか、神威岩の絶景、切り立った岸壁、シャコタンブルーと称される海の青さ、それら海の美しさを両側に見ながら神威岬まで続く遊歩道「チャレンカの小道」が整備されている。
2004年には北海道遺産52件のうちの1件に「積丹半島と神威岬」が認定され、次世代に引き継ぎたい北海道の大切な宝物であると認められた。
神威岬から少し足を延ばして229号線を通り、半島の東側にある「黄金岬」へ出ると、その沖にはハート型をした珍しい島「宝島」が浮かぶ。観光資源が豊富な積丹、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろう。
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一般社団法人 積丹観光協会