2023年の再現を!滋賀の工場が阪神にエールを送る理由 パインアメの知られざる原点

堤 冬樹 堤 冬樹

 プロ野球・阪神タイガースの岡田彰布監督が試合中によくなめているとして、昨年に大きな話題となった「パインアメ」。製造元のパインは大阪市内に本社を構える一方、生産を一手に担う工場は滋賀県草津市にあり、今年で移転60年の節目となる。4年前から稼働するパインアメの次世代工場を訪ね、「甘酸っぱくてジューシー」なロングセラーの秘密を探った。

 名神高速道路で草津市内を走っていると、赤と黄が印象的な「パインアメ」のロゴが描かれた建物に気付く人は多いだろう。この滋賀工場で、年間4億粒ものパインアメが生産されている。

 パインによると、商品の発売は1951年にさかのぼる。高級品で庶民の憧れだった輪切りのパイナップルの缶詰をアメで手軽に味わえたら…。そんな着想が形となり、すぐに類似品が出回るほど人気を博した。

 実は当初、シンボルとも言える「穴」はなかった。同社広報部の井守真紀さんが説明する。「技術的な問題から模様の型押しだけでしたが、やっぱり穴がないとパイナップルではないということで1個ずつ割り箸で開けていたようです。ただ、従業員が腱鞘(けんしょう)炎に悩まされるようになったため、2年かけて穴開けの機械が開発されました」

 工場を滋賀に移したのは1964年のこと。それ以前は大阪市内にもあったが、電電公社(現NTT)の施設建設に伴う用地買収で、移転を余儀なくなされたという。

 時代は高度経済成長期で、交通網の整備により流通面も大きく変貌を遂げようとしていた。工場用に広い土地が必要な上、名神高速の開通も見据え、白羽の矢が立ったのが現在の場所だった。電気や水道といったインフラは自前で整備したという。

 「当時の草津市は交通網も発達していない草深い田舎だったが、長い目で見ると発展の可能性を秘めていた」

 「食品製造業であるかぎり、周囲は緑と水と空気がきれいな好環境でなくてはいけない…近くには日本最大の湖、琵琶湖があり、環境の面でも申し分なかった」(パイン刊「パインアメ物語」2001年)。

 移転以降、同社はパインアメを含む全商品を一貫して滋賀工場で製造している。2020年にはパインアメをメインとした32年ぶりの新工場が同じ敷地内に完成した。

 整備した背景について、井守さんは「パインアメの生産量が右肩上がりで増える一方、残業時間がかなり多かった。『早く帰宅して家族で食卓を囲んでほしい』という当時の社長(上田豊会長)の思いが大きかった」。

 働き方改革に欠かせないのが、最新設備による生産性の向上だった。以前は製造工程によってフロアが分かれるなどしていたが、滋賀工場長の片岡弘和さんは「長年の理想だった『川が流れるように』連続式の1本のラインでほぼオートメーション化した」と話す。

 最初の加工工程で砂糖や水あめ、パイナップル果汁といった原材料を混ぜ合わせる。脱脂粉乳も入れるのはまろやかさを足す、いわば「隠し味」。平たい帯状になった鮮やかな黄色の生地が、途切れることなくベルトコンベヤー上を流れていく。

 やがて生地が折り畳まれたかと思えば、さらに「シュガーロープ」と呼ばれる細いホース状に変化。「企業秘密」という成型の機械を通ると、穴の開いたおなじみの形が次々と飛び出してきた。

 重さや形状で不良品は自動的にはじかれ、人の目や金属探知機、1秒間に千枚近く撮影できるCCDカメラなどによるチェックが続く。個別包装の後、袋や箱に詰められていく。

 「作る機械が違うと、味も若干変わる」と片岡さん。果汁や酸味料の配合を替えるなど、従来の味わいを損なわないよう試行錯誤を重ねた。原材料を混ぜる機械性能もアップしたとし、井守さんは「以前よりざらつきがなくなり、つるっとなめらかな食感になってさらに食べやすくなった」と自信をのぞかせる。

 そもそも、パインアメは誕生から70年余りの中で時代の流れを反映し、多くの改良が重ねられてきた。

 戦後まもない頃は、1粒で満足できるようにと、何より甘さやボリュームが重視された。1972年には天然果汁の使用を始め、本物のパイナップルの味に近づけた。

 1990年代に入るとコンビニの普及により、幅広い年齢層が商品を手に取るように。食生活の変化も追い風になったとされる。

 「野菜と魚中心だった日本人の食事は、肉中心で油を多用した食事に変化した。そうなると口の中をさっぱりさせる、酸味のきいた食品がもとめられる」

 「かつてパインアメは、『すっぱい飴(あめ)』とよく言われた。ところが、今ではその酸味が人々の嗜好(しこう)にぴたっと合うようになった」(「パインアメ物語」)。

 穴にも重要な意味がある。表面積が広くなって溶けやすく、口の中に味わいが広がりやすい。一方、通常のアメより割れやすい上、きちんとした形でないと不良品と思われるため、より厳しい検査が求められる。

 現在も絶えず改良を図っているとし、井守さんは「大幅にリニューアルすると、以前からのお客さまが離れてしまう。味わいや食感など気付かないほどちょっとだけ変わっているのを目指しています」。

 新工場の稼働に伴い、従来より少ない人員で倍の量が作れるようになった。当初の狙い通り、働き方は大きく改善された。だが後に、過去に例がないほど注文が殺到して「うれしい悲鳴」(片岡工場長)を上げることになる。

 きっかけは昨年7月下旬、阪神の岡田監督が出演したテレビの情報番組での「パインアメを1試合で7~8粒なめている」という発言だった。

 パインの公式ツイッター(現X)の「中の人」でもある井守さんによると、以前にも阪神ファンのフォロワーから「岡田監督がパインアメをなめている」との指摘をもらっていて気にはなっていた。でも、たまたま食べていたのか、実際に好きなのかは分からなかった。

 岡田監督がパインアメ好きを公言したことで、「このチャンスを逃してはいけないと思った」。すぐさま阪神球団側にパインアメ千粒などを届け、その内容を含めてツイッターで発信を続けた。同社は比較的早い時期の2010年からツイッターを使用しており、現在は19万人を突破するほどフォロワー数も多い。狙い通り、バズった。

 新聞やテレビなども取り上げるようになり、8月に入るとスーパーの棚からパインアメが消えた。「どこで買えるのか」。問い合わせが急増し、商品を求めて滋賀工場を訪れる人もいた。

 通常のライン稼働は1日6時間だが、残業や時間差出勤で計10時間ほど生産する日々が続いた。前年と比べ、生産量は約2倍。9月に入って阪神の「アレ」(優勝)が近づくと、ネット通販が一時ストップする事態となった。

 「長い歴史でもこれほど売れたのは初めてでは」と片岡工場長は当時の忙しさを振り返る。ようやく落ち着きを取り戻したのが今年4月ごろ。現在は通常の生産体制にほぼ戻っているという。

 長年の阪神ファンという井守さんは「やっぱり勝敗がパインアメの売り上げに反映すると思います。今シーズンも優勝に絡んでほしい」と期待を寄せる。

 パインアメの売り上げは、商品全体の3割ほどを占める。井守さんは「関西以外でも注目されるようになってうれしいけど、あぐらをかいてられない。他に柱になる商品を育てるのも大事なミッション」と語り、開発部研究室の石田直也係長も「プレッシャーはありますが、どんどんチャレンジしていいという社風の会社。楽しく開発することを心がけています」と話す。

 ただ、70年余り製造を続け、社名にもなっているパインアメへの思いはやっぱりひとしお、と井守さんは言う。「なんとも言えない甘酸っぱさは唯一無二。これからも多くの人に食べていただき、笑顔になってほしいですね」

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