元保護犬の柴犬「かぼす」が世界一有名になった理由は? お別れ会で400人が参列「いろいろな人の心の中にかぼちゃんがいた」 

渡辺 晴子 渡辺 晴子

暗号資産ドージコイン(DOGE)のロゴや、Xのアイコンになったことで知られた元保護犬の柴犬かぼすちゃんが、今年5月24日に18歳(推定)で虹の橋を渡ってから2カ月が過ぎました。昨年11月「佐倉ふるさと広場」(千葉県佐倉市)に建てられたかぼすちゃんのモニュメントには、猛暑の中にもかかわらず、花を手向ける人が今も後を絶ちません。

かぼすちゃんが世界中に知られるようになったのは、飼い主の佐藤敦子さん(62歳)が2010年2月にブログに投稿した“流し目”をするかぼすちゃんの写真がきっかけ。愛くるしい目と仕草に多くの人たちが癒されました。殺処分寸前だったかぼすちゃんが国内外の人たちから愛される存在となった経緯をはじめ、最期を迎える数カ月の出来事など、かぼすちゃんと二人三脚で歩んできた敦子さんにお話を聞きました。

殺処分寸前だったかぼすちゃん ブログの写真がある人の目に留まり次から次へと拡散

──かぼすちゃんをおうちにお迎えしたのは2008年11月でしたね。

「はい。かぼちゃんは当時3歳くらい。家族になった11月2日をお誕生日にしました。2006年に先代の犬を10歳で突然亡くしてから2年経って、また犬と暮らしたいなと思い毎日里親募集のサイトを眺めていたんです。そこでかぼちゃんを見つけました。ブリーダーの廃業によって19匹の柴犬仲間とともに動物愛護センターに持ち込まれた犬でした。殺処分される寸前にボランティア団体に引き出された子。サイトを見ると、かぼちゃんが保護されてから生活しているボランティアさんの家が地元の佐倉だったので、運命を感じてすぐに連絡。おうちにお迎えすることになりました」

──そして、かぼすちゃんが世界中に知れ渡ることになったのは、その2年後の2010年2月13日にブログに投稿した写真…どういう経緯で広まったのでしょう?

「この写真は、ソファでくつろぐかぼちゃんが構ってくる夫の手を軽くあしらっている時に撮影したものです。あるアメリカ人の彼が『この写真がいいな』と思って、アメリカのサイトに載せたそうです。そのサイトを見た人たちがかぼちゃんのミーム(ネットで拡散される面白ネタ)を使って遊び、次から次へと拡散されました。ドージ(Doge※)と名付けたのも彼です。

かぼちゃんが亡くなってから、Xのコミュニティ(スペース)などでいろいろな国の方たちとお話をした時のことですが、『子どもの頃から親しんできた』『学校でつらいことがあってもこのミームを見て笑ったりして頑張れた』などかぼちゃんへの思いを打ち明けてくれて…いろいろな人の生活の中にかぼちゃんがいたことを初めて知って。私たちが小さい頃親しんできたアニメのキャラクターのように、かぼちゃんも心の中にある原風景なんだと。だから、皆さんがこれまでこんなに大事にしてくれるんだと感激しました。単純に面白がっていたわけではなかったんです」

※Doge:「dog」のスペルを崩したネットスラング

17歳の誕生日に迎えた12月、体調が悪くなり一時危篤状態に…最後の5カ月間は飼い主や子どもたちと過ごす日々

──そんなかぼすちゃんが体調を崩したのは…。

「ずっと元気だったんですよ。16歳の時は走り回っていました。17歳の誕生日を迎えた時もとても元気で。その年(22年)の12月、急に体調が悪くなって危篤状態になったものの、危険な状態からすっかり回復したんです。ご飯を食べて普通にお散歩にも行くようになりました。翌年の23年5月に、世界からかぼちゃんに会いに行くツアーがあった時も元気でしたが…その直後、固形のご飯を受け付けなくなってしまい、シリンジで流動食を食べさせるように。そこから徐々に悪くなってきて…今年1月、自力で起き上がれず歩けなくなり車いす生活になったんです。もうお留守番もできないため、そこから私が勤めるこども園に同伴出勤となりました」

──つまり、今年1月から亡くなる5月まで、こども園で一緒に過ごすことになったと。

「そうです。1月から5カ月間、24時間かぼちゃんとずっといた時間は楽しかったです。最初の数日は、こっそり連れていくという感じでしたが、園児たちが大変喜んでくれ、かわいがり進んでお世話をしてくれるようになったので、4月からはこども園の職員の欄に名前を連ねるように。かぼちゃんと触れ合うことにより、園児たちは驚くような成長を見せてくれました。新年度に泣きながら登園した子も『かぼちゃんを触りに行こう』というだけで、笑顔に戻ったり。旅立ちは園児たちにとっても悲しい出来事でしたが、身を持って命を授業をしてくれたかぼちゃんは、最高の先生でした」

──子どもたちと囲まれる日々を過ごし、最期の日を迎えたというかぼすちゃん。どんな様子だった?

「前日の夜はいつも通りご飯を食べてお水もたっぷり飲みました。窓からは柔らかな光が射し込み、窓の外では鳥たちが歌う美しい朝に、私になでられながら眠るようにそっと逝きました。また息を引き取った後、傍で衰えていくかぼすちゃんを見てきた元保護猫のつつじちゃん、ぎんなんくん、オニギリくんたちも特に寂しがる様子はなく、自然と死を受け入れてくれたようでした」

お別れ会には国内外から約400人が参列 飼い主「かぼちゃんは役割を持ってこの世に生まれてきた」

──5月26日のお別れ会はどれくらいの人が参列したのでしょうか。

「国内だけでなく海外からもたくさんの方々がいらっしゃって、欧米の方の中には旅行中に立ち寄っていただいたり、アジアなど近隣の国からはこのお別れ会のためにだけ来日くださったり。おそらく約400人くらいの方々に参列していただきました。その1週間後に火葬しました。四十九日にもファンの方々からたくさんのお花が届いて本当に世界一愛されてきた柴犬だと感じ、皆さんに感謝しています」

──最後に、かぼすちゃんと過ごした日々を振り返りどう思う?

「かぼちゃんは家の中では私たち家族の一員としてほのぼのとした毎日の積み重ねでしたが、2009年6月からかぼちゃんのブログを書き始めて、様々な奇跡が起きました。かぼちゃんの写真が世界的に有名になったこと、チャリティー活動をするようになりたくさんの仲間ができたこと...。2021年6月には、世界で活躍する友人たちの協力を得ながらかぼちゃんのNFTオークションに出品することになって、かぼちゃんが有名になった写真を含め7枚を日本円で約5億円で落札。そのほぼ全額を海外の課題に取り組む活動を行う民間団体NGOに寄付し、イラクと南スーダンの学校の建設やベトナムの幼稚園・小学校の環境整備などに使われました。現地の方々がとても喜んでくださっていると聞いてうれしいです。

また、かぼちゃんの散歩コースだった佐倉ふるさと広場に世界中のファンの方々から『モニュメントを建てたい』とお話をいただき、昨年11月に実現。かぼちゃんが亡くなった直後、ドージコインの愛好家でもあるイーロン・マスク(テスラ社CEO、実業家)がXで哀悼の意をポストしてくれました。振り返るとかぼちゃんを通じて、いろいろな冒険をさせてもらえました。そして…夫より深い絆だったと思うくらい、私にとってかぼちゃんは一心同体の存在でした。かぼちゃんは役割を持ってこの世に生まれてきたんだと思っています。私のところにきて、その役割をいかすことこそ神様が私に与えられた使命だと。誇らしく思いますね」

ライブドアブログ「かぼすちゃんとおさんぽ。」

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