9年も彷徨って流れ着いたなんて…一本の杭、気仙沼から沖縄へ2300キロ「東日本大震災の怖さを思い知る」

中将 タカノリ 中将 タカノリ

2011年に発生した東日本大震災宮城県気仙沼市は大津波によって市街地が破壊され、死者・行方不明者が1434人、被災した家屋は2万6124棟という甚大な被害を受けた。(気仙沼市による)

今、SNS上ではその被害を思い起こす一本の杭が注目を集めている。

「絶句した。」とその杭を紹介したのはシンコーミュージック書籍編集ルーム勤務で元『クロスビート』編集長の荒野政寿さん(@Crossbeat_JP)。

「東日本大震災から9年かけて西表島に流れ着いた杭です」。元々、気仙沼市で「路肩注意」の注意喚起のため設けられていたこの杭は現在、八重山列島の由布島に展示されている。あの震災から9年を経て約2300キロ離れた沖縄の小島まで流れ着くという、なんとも数奇な運命をたどった杭なのだ。

今回の投稿ついて荒野さんに話を聞いた。

ーーこの杭をご覧になった経緯は?

荒野:石垣島に移住したラッパーのGORIKI君を訪ねて旅行中、近くの西表島にも足を延ばしました。そこから水牛車で渡った由布島を歩いているときに、たまたま道端でこの杭を目にしました。島内のレストランからマンタの浜へ向かう途中だったと記憶しています。

ーーこの杭のエピソードを知って。

荒野:気仙沼市から由布島までの距離、波間を漂う杭の様子を思い浮かべながら、親戚も被害を受けた東日本大震災の記憶がよみがえってきました。あのとき海へ押し流されたものが消えてなくなることはなく、この杭と同様にどこかへ流れ着いたり、今も海底のどこかに沈んでいるのだろうと思うと、何とも言い難い気持ちになりました。

ーー投稿への反響について。

荒野:調べたところこの杭がSNSで話題になるのは初めてではないようですが、それでも驚くほど多くの反応がありました。自分と同じような心境になった方から、「どのような流れでここに流れて来たのか?」と問いかける方、この杭が気仙沼から流れてきたことを疑う方まで反応は様々でしたが、自分に答えようのないことについては回答を控えました。

◇ ◇

SNSユーザー達から

「こういったものが世界中にあるんだろうか。」
「黒潮に乗ってカルフォルニアの方へ流れて行って赤道付近を再び日本の方へ流れて沖縄の方へ行ったのではないでしょうか。アメリカ西海岸に漂着せずに西表島に流れ着いたのは奇跡としか言いようがありません。」
「なんとも言えない気持ちになりました。9年も彷徨って流れ着いたなんて…また一つ東日本大震災の怖さを思い知ります。」

など数々の驚きの声が寄せられるこの杭は由布島の「亜熱帯植物楽園由布島」で展示されている。由布島は西表島からも徒歩で渡れる立地。観光などで近くに行かれる方はぜひ足を運んで、災害への思いを新たにしていただきたい。

荒野政寿さん関連情報
シンコーミュージック書籍編集ルーム、元『クロスビート』編集長。近刊に『歌謡曲 meets シティ・ポップの時代』、『ロニー・スペクター自伝 ビー・マイ・ベイビー』、『デヴィッド・バーン/トーキング・ヘッズ アルバム・ガイド&アーカイヴス』、『My Dear Artists ジャズ・レジェンドたちとの邂逅』等。
Xアカウント:https://x.com/Crossbeat_JP

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