「死ぬときは憂歌団の花岡じゃなく花岡献治として」 孤高の老ミュージシャンの訃報に寄せて 歌謡曲やグループサウンズも大好きだった

中将 タカノリ 中将 タカノリ

ベーシスト、作曲家の花岡献治さんが6月17日に亡くなった。

花岡さんとの出会いは2023年の正月。神戸の老舗ライブハウス・チキンジョージの飲み会で関係者から紹介され、急きょその場でインタビューをすることになった。御年69歳。お酒を飲み過ぎて一時体調を崩していたということで、憂歌団で活躍されていた頃に比べるといくぶん痩せた印象。しかしお話していると眼光は鋭く、音楽への情熱は以前よりも増しているようだった。

大阪を離れ熊本市内で生活する中で、これまで忘れかけていた音楽の楽しさを思い出したこと。憂歌団は誇りだがもうやるつもりはないこと。死ぬ時は「憂歌団の花岡」でなく「花岡献治」として死にたいということ。週刊朝日の誌面で紹介された老ミュージシャンの飾らない言葉は読者の共感を得たようで、大きな反響があった。

インタビュー後、僕と花岡さんは何度か一緒にお酒を飲んだり、ライブに足を運ぶ機会があった。中でも印象的だったのがご招待したザ・タイガース・瞳みのるさん、森本タローさんのジョイントライブだった。

憂歌団といえば、日本を代表するブルースバンド。花岡さんに対して、ゴリゴリのブルースマンのイメージを持つ方がいるかもしれないが、実際は歌謡曲やグループサウンズ、ビートルズも大好きだったのだ。楽屋でお二人に対面した花岡さんは、顔を真っ赤に緊張しながらも喜びを抑えられない様子。十代の少年に戻ったかのように若やいでいた。

「関西らしい料理が食べたい」というリクエストで神戸・新開地の居酒屋「正宗屋」にお連れした時の反応も印象に残っている。おでんや穴子の煮凝りをつまみにグラスを傾け「熊本ではこの味がなかなか食べられへんのや」とつぶやいていた花岡さん。熊本での生活には満足しておられるようだったが、故郷を遠く離れて暮らす寂しさはこんなところにあるのだなとしみじみしたものだ。

「一緒にグループサウンズのカバーやりたいな」「また飲みに行こうや」。そんな言葉を交わしながらも今年に入って花岡さんにお目にかかる機会はないままの訃報だった。70歳の早すぎる死だが、身近な方によると「もう長くないことはわかっていたのでは」ということ。最期まで周囲への気遣い、ユーモアを絶やさず、優しい表情で眠るように旅立たれたということで少しホッとした。

関係者からの依頼で窓口となり、共同通信やテレビ朝日からの取材に応じたので、今ごろ各メディアでは花岡さんの訃報が報道されているここと思う。満足なことができたはわからないが、少しでも恩返しできたのであればうれしく思う。

花岡献治さん、素敵な孤高のミュージシャンだった。

花岡献治(はなおか・けんじ)プロフィール
ベーシスト、作曲家。1953年7月27日生まれ。大阪府大阪市出身。1975年、憂歌団のベーシストとしてシングル「おそうじオバチャン」でデビュー。以後、数々の楽曲を発表し日本のブルースシーンを牽引する。1999年の憂歌団“冬眠”後はソロ活動のかたわら作曲家、音楽プロデューサーとしても活躍。晩年は熊本市に在住した。

【お別れ会】(音楽葬)
2024年7月24日(水)
倉庫cafeハロー通り(熊本県菊池郡大津町引水710-1)
開場18時30分 入場料6000円(別途1ドリンクオーダー)
申込み先 https://ws.formzu.net/sfgen/S8237288/
2024年7月26日(金)
Restaurant Bar CIB(熊本県熊本市中央区花畑町11-14)
開場18時30分 入場料6000円(別途1ドリンクオーダー)
申し込み先 HCB事務局(TEL.0965-62-8539)
※いずれも定員あり

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