ドラマ原作者の死から考えたこと、夜回り先生が自身の体験を踏まえ見解「原作は素材、ドラマとは別もの」

夜回り先生・水谷修/少数異見

水谷 修 水谷 修

 「セクシー田中さん」の作者である漫画家の芦原妃名子さんが1月29日に急逝した。昨年秋から年末にかけて日本テレビ系でドラマ化された同作の脚本について、亡くなる直前まで、見解の相違があったことをうかがわせるX投稿を行っていたことなどから、同局や出版社の小学館側へ経緯説明を求める声が上がっている。「原作とドラマ(映画)」の関係について、「夜回り先生」こと教育家の水谷修氏が自身の経験を元に見解をつづった。

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 漫画家の芦原妃名子さんが、自死されました。いろいろなご事情があったようです。それについて、今ネットでは、原作とドラマとの関係や原作者と脚本家や監督との関係が取り沙汰されています。この問題について、私の考えを書いてみます。

 私の本は、「夜回り先生」シリーズ、「さよならが言えなくて」などを原作として、2本のドラマと1本の映画が作られています。

 みなさんは、ご存じだと思いますが、私の本は、小説ではありません。すべて、実際に関わった子どもたちのことを、できる限り真実に基づいて書いた、ノンフィクションです。亡くなった子どもたちも、今、幸せに生きている子どもたちも、すべて実名で書いています。

 初めて、私の本がドラマ化されたのは、TBSテレビでしたが、その時は、担当プロデューサーの方と綿密に打ち合わせを行いました。素晴らしい人物でした。私の日々の活動、夜回りや子どもたちとの触れあい、私の講演を実際に見て、その上で話をしました。彼との触れあいの中で、わかったことがあります。それは、私の原作そのものをきちんと映像とすることは不可能だと言うことです。「ノンフィクション」の映像なら、もしかして、できるのかもしれませんが。「ドラマ」や「映画」は、それ自体が、本とは違う、一つの芸術です。作り手にも、その作品に込めたい思いがあります。原作は、あくまで、素材であるということがよくわかりました。そして、映像化することを悩みました。中止しようと考えたときもあります。

 そんな私の背を押してくれたのは、私が亡くした子どもたちの家族や、関わっている子どもたちでした。「先生、その作品が、どんなに先生の原作や思いと違うものになったとしても、先生の活動を多くの人に知ってもらうことができる。そして、その番組を見て、それを生きる力にしたり、先生に相談しようと考える子どもたちがきっとたくさんいる。その子どもたちのためにも、映像化するべきだよ」このことばに押されて、ドラマの話を受け入れました。私は、担当プロデューサーや関係者に、「どうぞ、ご自由に、私の本をお使いください。良い作品を作ってください」そう伝え、脚本や映像制作には、一切関わらずお任せしました。それ以降も、映像化の話が来れば、「すべてご自由に」と、原作をお渡ししてきました。

 私は、原作と、ドラマや映画は、別のものと考えています。原作者の作品への思いと、ドラマや映画の制作者や脚本家、演者の考えや思いは、近づくことはあっても同一になることはないでしょう。

 原作者が、原作通りのドラマや映画を望むこと自体に無理があると、私は、考えます。私の作品で言ったら、実際のなくなった子たちや、関わった子たちが、映像に出ることができれば、可能かもしれませんが、そんなことができるわけもありません。

 私たち作家が、それをドラマ化したり映画化すると言うことは、あくまで、その素材を渡すことに過ぎないのではないでしょうか。ただし、良質の素材をですが。

 どうしても、自分の書いた原作へのこだわりが強いのならば、ドラマ化、映像化をしないことなのではないでしょうか。

 原作者に誇りとこだわりがあるのと同様、脚本家やプロデューサー、監督や俳優にも、誇りとこだわりがあります。本来は、それがぶつかり合いながら、新しい調和が生まれ、さらに素晴らしい作品として完成することが理想なのですが。

 どうしても譲ることができない場合は、止めればいいだけのことです。原作者には、それだけの力は与えられています。

 それにしても、哀しい結末となってしまいました。

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