バカリズム脚本のドラマ出演俳優が被災経験語る 勢登健雄さん、避難所から「ぜひ私の分まで楽しんで!」と投稿 能登の実家に帰省中

黒川 裕生 黒川 裕生

1月3日夜に日テレ系で放送された菊地凛子さん主演、バカリズムさん脚本のドラマ「侵入者たちの晩餐」がすこぶる面白く、鑑賞後に興奮しながらXで他の人の感想を検索していたところ、放送当日のある投稿が目に留まった。出演者のひとりである勢登健雄さん(白石麻衣さん演じる奈津美社長と不倫する荒井秀治役)が、「私は能登の避難所です。絶対苦境に負けません!ぜひ私の分まで観て楽しんでください!」と、避難所にいる自身の写真を添えてドラマの告知をしていたのだ。1月1日の能登半島地震で被災したらしく、その投稿以外にも被災地の情報を逐次、発信しているのが見て取れた。取材を申し込んだところ、真摯な人柄の感じられる丁寧なレポートを寄せてくださった。

帰省中に七尾市で地震に遭う

勢登さんは1980年1月25日、石川県七尾市出身。俳優、作家、司会など多方面で活躍しており、ドラマ出演も今回の「侵入者たちの晩餐」、同じくバカリズムさん脚本で話題を呼んだ「ブラッシュアップライフ」のほか、NHKの朝ドラ「まれ」など幅広い。日テレ系で現在放送中の「となりのナースエイド」にも出演している。

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私の実家は七尾市中島町にあります(指定避難所となっている七尾市立中島小学校から車で3分ほどの距離です)。発災時は私の両親(ともに74歳)、妻(30歳)、娘(4歳)、そして私(43歳)の5人全員が、その実家にいました。

本震が来たときは家が揺れ出すと同時に「ゴゴゴゴ…」という地鳴りのような音もし始めて、直感的に「これは本当にやばい揺れだ」と感じました。立つことはおろか動くこともできず、障子は外れ、壁や天井の軋む音が凄かったです。2階部分が落ちて潰れるのではないかというほどでした。家の内壁のほとんどは白い漆喰なのですが、あらゆる所に亀裂が生じ、同時に漆喰の白い粉が舞って廊下が真っ白になりました。

揺れが収まった後、とにかく家の中にいては危ないと感じ、すぐ外へ。瓦がたくさん落ちていたり、窓ガラスが割れていたり、すぐ目の前の道路に大きな亀裂ができていて、本当に大変なことになってしまった…と改めて実感しました。すぐ近くで火災が起きていたのか黒煙も上がっており、2〜3分はその場で呆然としていたと思います。何を優先して、どう動けばいいのか全く判断できない状態でした。

ただ、防災無線の屋外スピーカーやスマホの通知で、大津波警報が発令されていることはわかったので、とにかく急いで高台へ逃げることにしました。街の中で一番の高台といえば、私の母校でもある中島小学校です。避難先に迷いはありませんでした。

とはいえ元日に小学校が開いているわけもなく、そこに集まった人たちとしばらく高台から街を見守るしかありませんでした。学校は騒然とはしていましたがパニックにはなっておらず、皆お互いに気を遣いながら車を駐車場や運動場に綺麗に並べて駐めていました。

【17時半頃、同小学校は避難所としての運営を開始。勢登さん一家は体育館で寝起きすることになった。勢登さんは両親や妻子の体調などを気遣いながら、避難所運営のボランティアにも積極的に参加したという】

中島小学校は暖房器具がある程度そろっていただけでなく、目的やニーズ別に避難者を分けられるスペースもあり、とても恵まれた避難所だったと思います。もちろん、自身も被災者でありながら、自主的に避難所運営を買って出てくださった方々のおかげでもあります。本当に頭の下がる思いでした。

2日目、実家の様子を見に行きました。2007年の能登半島地震の教訓から、食器棚の扉が簡単に開かないように取っ手にストッパーを付けていましたが、それでも食器が床に落ちていたり、棚の中で割れていたりしていました。新年を祝いながら食べるはずだったお節料理を避難所に持ち帰り、家族みんなで食べました。体育館の床でお節…非常にシュールでした。

避難所で迎えた出演ドラマの放送日

「侵入者たちの晩餐」の放送日(3日)には、体育館で過ごしている私の写真とともにSNSで告知しました。たくさんの方に現状を知ってもらうことも、ドラマを観てもらうことも、自分にとってはどちらも大切なことでした。自分は観られる環境・状態ではなかったですが、告知することで何となく気持ちに区切りができ、少し落ち着けたように思います。避難所運営のボランティア活動中は、ドラマのことを知っていた地元の後輩と「あれ、ドラマいつやったっけ?」「今ちょうど出とるよ」「今か!ここじゃ観れんね」「あはは」というやりとりもありました。

【妻子は1月3日、勢登さん自身は5日に東京へ戻った】

たくさんの方に助けていただき、改めて自分は多くの人の力によって生かされているんだと気づかされました。そして停電することはあっても長期間の断水までは想像もしていなかったので、今後はそういうことも想定しながら防災意識を高めていかなければならないと感じました。

今回の能登半島地震はまだ終わったわけではありません。能登を応援する気持ちをずっと持ち続けて、たくさんの方々にも継続的に支援していただけるよう、自分もできることを頑張り続けなければいけないと思っています。

初めて知った避難所運営の実態と課題

避難所運営の仕組みについては、自分が避難して初めて知ることばかりでした。そもそも運営自体が自主的に行われていたことに驚きました。中心となって動いていたのは3人の公務員の方々でしたが、もちろん、その方々も被災者です。強い責任感と使命感を持って運営していらっしゃることに胸を打たれ、私も少しでも力にならなければ、と思いました。どんな立場の人も、お互いを思いやり、支え合う気持ちが必要だと痛感しました。

支援物資の運搬など、ボランティアで動いているときに「ケガなどをしたらどうするのか? 保険は用意されていないのか?」という質問が来て、運営の方が困る場面がありました。懸念されることは確かにわかるのですが、現実に支援物資が大量に届いた際、荷下ろしする人間や配給する人間がいなければどうにもなりません。なかなか、難しい問題です。

賞味期限切れのものや、使い切れない量のものが支援物資として届けられたこともありました。受け取りを拒否するような余裕はないでしょうし、チェック体制も整備されていない中で、現場の人の仕事を増やしただけだったように思います。本当に必要な物は何なのか、ニーズを探り、それを届けてもらうことの難しさを感じました。

俳優として能登を少しでも笑顔に…

避難所運営の中心メンバーの中には、大学生の男性もいました。支援物資の在庫を管理したり、他の自主避難所への配給を調整したりと、常に冷静に対処されている姿が印象的で、とても感心しました。Xのアカウントを発見してフォローしましたが、今も中島小学校で避難所運営を頑張っておられるようです。

私はこの先も俳優として、ふるさと能登の皆さんを少しでも笑顔にできることを考えていきたいです。世の中にもっと広く名前を覚えていただき、「勢登=能登」というイメージがついたら最高です。いつかそうなれるよう、頑張りたいと思います。

勢登健雄さん https://www.maseki.co.jp/talent/setotakeo

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