「元日に用意されてたすき焼き」涙が出そうに 半壊した祖母の家で目にした光景…被災者の写真に「時が止まったまま」

渡辺 晴子 渡辺 晴子

「今日は祖母の家(半壊)に行って色々使えるもの探したり倉庫の車取りに行ったりしたよ
朝から晩まで疲れた、、、元日に用意されてたすき焼き見て涙が出そうだった…もう住めなくなるの悲しい」

能登半島地震発生後、半壊したおばあちゃんの家で撮影した写真をX(旧Twitter)に投稿した被災者のROAさん(@Roas7y)。そこに写っていたのは、元日に準備をしていたすき焼き。その日の夜に家族団らんで食べようと、おばあちゃんが調理をしていた最中、地震が起きたようだとのこと。投稿には、当時襲った“悲劇”を思いはかり胸が締め付けられる人たちからたくさんのコメントが寄せられています。

「またご家族みんなですき焼きを食べられる日が訪れますように」

「元日の悲劇のまま…今改めて見ても信じられないですよね」
「ちゃんと火を消した結果生き延びられたのですね。またご家族みんなですき焼きを食べられる日が訪れますように」
「ここだけ、元日の夕方で時が止まったままなのですね...でもご無事で何よりでした一日でも早く日常生活を取り戻せますように...」
「家族団欒でお正月を過ごそうとしていたのに、これを見ると切なくなります。明けない夜はないので頑張ってください」
「胸がギューってなりました。皆に新しい朝は必ず訪れます。1歩ずつでいい、どうか前を向いて頑張ってください。ROAさんや、ご家族、被災された皆さんが一日も早く穏やかなお気持ちで迎えられる朝がきますように」

多くの人たちから反響のあった地震当時の様子が垣間見える1枚の写真。おばあちゃんの家で目の当たりにした光景や現在の避難生活などについて、ROAさんに聞きました。

輪島市で被災、自宅は全壊…母校に避難 地震当時「祖母は調理中だった」

――地震が襲った元日。おばあちゃんの家でROAさんご家族が集まる予定だったそうですね。

「はい。家族で団らんする予定だったのですが、家族の1人がインフルエンザに罹患して行けなくなったところに地震がきたんです。地震当時は祖母1人だけで家屋は無事。外に出て避難したと聞いています」

――ROAさんは地震発生後、輪島市役所に避難した後、母校の輪島高校へ避難したとのこと。

「輪島高校に避難したのは自分と母のみです。それ以外の家族は仕事柄、県外に住んでいるので返しました」

――今回注目を集めた投稿写真。地震発生から2週間過ぎ、半壊したというおばあちゃんの家に足を運ばれた時に撮影したとか。

「そうです。祖母は遠い場所に避難済みなので、家屋の状態を確認するのと車を動かすため祖母の家に向かったのですが…室内を見ると想像してたよりひどくてもう住める状態ではなかったです。写真には載ってなかったですが、野菜を切ってあった状態だったので当時祖母は調理中だったんだと思います。本当は親族みんなで食べる予定だったのに食べられない。キッチンは1月1日のまま時が止まっているんだなと思うだけで心苦しかったです」

――ROAさんが住んでいた家は。

「私の住んでいた家屋は全壊です。家だけでなく地面が陥没していて、まずは地盤の修復からになりそうです…」

被災者「倒壊家屋の数が輪島は尋常じゃなかった」

――七尾まで行かれた時、家屋や道路の被害状況が全然違うと思ったとのこと。震源地に近い輪島市内の状況は?

「輪島→穴水→七尾と車を走らせながら周りの景色をずっと見たのですが、倒壊家屋の数が輪島は尋常じゃなかったです。また歩道も道路も電柱などめちゃくちゃで被害の状況が震源地から離れるにつれて少なくなっているのを実際目の当たりにして輪島市は相当ひどい状況なんだなと思いました」

――避難生活は…。

「避難生活はもちろん慣れない生活なのでしんどいですね。友だちとかいたらまだ心強かったんですが、私の知り合いが1人もいなくてちょっと寂しい気持ちもあります」

――今後の避難生活はどうなりそう?

「とりあえず私は仕事があるので輪島を離れることができません。復旧の目途が立っていないし、これから先どうなるか全く分かりませんが、目の前のことをひとつひとつに全力で取り組むように前向きに動いていけたらなと思っています」

ROAさんが撮影した光景は、大地震が起きた元日の“悲劇”を物語る写真。一瞬の出来事で生活が一変してしまった被災地の方々は、今も先が見えない避難生活を送っています。少しでも早く元の生活に戻られますよう願っています。

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