人の死を感知し、看取る犬
「さくらの里 山科」の名を巷に知らしめた大きな理由の一つが、2012年の春からここで暮らす古参の犬、文福の存在でした。柴犬系の雑種、オスの文福。彼はなんと「人の死期を感知し、看取る」行動をとるのです。
文福は入居者に死期が近づくと、次第に近くに寄ろうとしはじめます。逝去の3日前あたりから個室のドアの前から離れずに座り、いよいよお別れの時が訪れると、横たわる老人に寄り添い、顔をぺろぺろと舐め、最期を看取るのです。入居者は、そんな文福を抱きしめ、やわらかな顔で召されていくといいます。
石黒「文福は11年間、同じユニットで暮らしていた入居者の全員、およそ40名を、例外なく一連の行動をとって看取ったのだそうです。偶然とは思えないですよ」
人の往生を悟る、文福。裏を返せば、彼が行動を起こせば、職員や家族は別れへの準備ができます。心を整える時間もできる。まるで彼が、人々が少しでも穏やかな気持ちでその瞬間を迎えられるよう、仕事をしているかのようです。
石黒「文福は、死への恐怖を少しでもやわらげてあげたいと、“おくり人”ならぬ“おくり犬”としての使命を自らに課している気がするんです。文福はもともと保護犬でした。殺処分のギリギリ1日前に引き取られたのだそうです。死にゆく他の犬たちから発せられたなんらかのメッセージを受けて、特別な能力を身につけたのかもしれないと、若山さんは話していました」
人と犬がともに老いていけるホーム
石黒さんが取材中、もっとも長くともに時間を過ごしたのが犬の「大喜」でした。老いた大喜は自力での歩行がたいへんなので、いつもリビングの決まった場所で横たわっています。カートに乗って移動する練習も始まりました。
石黒「うちで飼っている豆芝のセンパイも老犬で、人間の年齢だと100歳に近い。カートに乗る生活になって、そろそろ2年になります。食事は抱いてスプーンで与え、夫婦で交代しながらおむつを替えているんです。そんな日々のなか、大喜が懸命に歩こうとする光景はリアリティを伴って、僕の心の深いところに刺さりました」
石黒さんが飼う犬は18歳、猫は13歳。高校卒業までの18年を合わせて36年間、人生の半分以上を動物とともに過ごしてきました。それだけに、身につまされたのでしょう。ここでは高齢なのは人だけではありません。犬や猫も同じように歳を重ねていく。生を授かった者たちの、さまざまな老いの姿があるのです。
障害を抱えた猫も暮らす
この「さくらの里 山科」には、人と同じく、複雑な背景を抱える動物たちがやってきます。老いた犬、そして、障害を抱える猫もいるのです。
タイガとかっちゃんは、ともに脚が曲がっていました。保護された時点で人になれており、飼い猫だったと思われます。どちらもきれいでおとなしい猫ですが、障害があるため引き取り手が見つからず、施設長の若山さん動物保護団体から迎え入れたのです。
石黒「タイガの脚の状態を見ると、人に傷つけられた可能性もあって、そして『歩行に難があるため捨てられたのでは』ということです。怒りがこみ上げてきますし、動物たちへの深いお詫びの気持ちも湧き上がる。そしてそんな二匹が歩いたり、ジャンプしたり、じゃれあったりしているほほえましい姿を見ると、誰しも『私も頑張ろう』と思うことでしょう」
脚が不自由ながら歩こうとするタイガとかっちゃんのしぐさは、実際に入居者を勇気づけました。
石黒「自分の子どもがなかなか来てくれないと言い募っていた人が、『あの子たちのけなげな様子を見ているうちに寂しくなくなってきた』と元気になった例もあったそうです。動物たちが車椅子で生活する入居者に力を与える存在になっているんですね」
そんなタイガとかっちゃんは取材中に亡くなりました。