大阪府堺市北区東三国の「サンヴァリエ金岡」という団地内にある公園の一角に、壁も天井もないモデルハウスのようなモニュメントがある。どこからでも中が丸見えの部屋が3つ、放射状に配置されているスケルトンのシュールな空間は、いつどのような目的でつくられたのだろうか。UR都市機構西日本支社に聞いた。
UR都市機構が最初につくった団地の間取りを復元
結論からいうと、サンヴァリエ金岡の前身は日本住宅公団(現UR都市機構)が、1956年3月に募集を開始した「金岡団地」。675戸の募集があり、4月から入居が開始された。
間取りは全て2DKで、入居者の家族構成は夫婦だけ、あるいは夫婦と子どもという典型的な核家族が多かったそうだ。
壁も天井もないモニュメントは、草創期の団地の間取りを復元したメモリアル広場なのだ。3部屋がY字型の放射状に配置された外観から「スターハウス(星型住棟)」と呼ばれ、当時では珍しい5階建てだった。
UR都市機構の西日本支社総務課によると、スターハウスの生みの親は建築家の市浦健氏で、水戸の偕楽園近くにスターハウスと呼ばれるスタイルの集合住宅がつくられたという。
スターハウスのメリットは、比較的狭い土地にも建てられることと、各部屋が3方向へ放射状に配置されており、部屋の3方向に窓を設けられるため日当たりと風通しが良い。
デメリットは、その形状から外壁の面積が増えるため建設費が増加すること。また、日当たりが良いということはそれだけ開放されているわけで、隣棟から見えやすいプライバシーの問題があったそうだ。
堺市のサンヴァリエ金岡は1992年からの建て替え工事で、近代的な集合住宅に生まれ変わった。その際、UR都市機構がつくった第1号団地である金岡団地を記念し、実際にスターハウスが建っていた基礎部分を活かしてモニュメントがつくられたのだという。つまり、間取りも広さも、当時の面影を残している。
その後、古くなったモニュメントの改修工事が2017年に行われた。2ドアの冷蔵庫、テーブルとイス、流し台、吊り戸棚、水洗トイレなど、「あぁ、こんなんだったな」と懐かしく思い出す人もいるはず。公園の片隅で、ここだけが昭和30年代の面影を偲ぶ雰囲気に包まれている。
団地での生活が憧れだった昭和30年代
メモリアル広場には、誰でも自由に立ち入ることができる。そこに配置されているイスやテーブル、本棚など、すべての家具・調度品の類は固定されていて動かせない。また冷蔵庫やオーブントースターは樹脂製のハリボテである。
昭和30年代は、多くの家庭が卓袱台(ちゃぶだい)で食事をし、トイレもまだ汲み取り式が多かった。そんな時代に、キッチンにステンレスの流し台、水洗式のトイレと小さいながら浴室もあり、テーブルと椅子で食事をする生活は、ある種のステータスであり憧れだったという。
余談ながら、リアルに再現されているトイレは、酔っぱらいが本物と間違えて使われてしまったことがあるのではないかという噂を耳にした。しかし、便器に蓋がある。さらに詳しくいうと、便器と蓋が一体構造になっているから、使用は不可能である。