「ナイトスクープは上岡さんの才能生かすため企画した」番組初代プロデューサー松本さん、上岡龍太郎さんを追悼 印象的だった「論理構成力に満ちたアドリブ」

小森 有喜 小森 有喜

元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日、肺がん、間質性肺炎のため亡くなっていたことが6月2日、発表された。81歳だった。数多くのバラエティー番組で司会などとして活躍し、歯に衣着せぬ流ちょうな話しぶりで親しまれた上岡さん。朝日放送「探偵!ナイトスクープ」(1988年放送開始)では、初代局長として番組の人気を不動のものにした。同番組を立ち上げたプロデューサーの松本修さん(73)は「アドリブでも、論理構成力ある言葉を流れるような口吻で語ることができる人だった」と故人を偲んだ。全文は以下の通り。

ー上岡さんのお人柄について教えてください

上岡さんと初めて出会ったのは、1976年初めです。前年11月に始めた番組「ラブアタック!」が、上司の提案で横山ノックとエバだったのですが、ノックさんに「私は司会が不得意でできない。上岡を司会に入れてもらえないか」と頼まれました。私も同じ思いであったため、上岡さんとホテルプラザのパントリーで2人きりで会い、4月からの加入をお願いしたのでした。

上岡さんはネクタイを結んだスーツ姿で、礼儀正しく、スマートな印象でした。私が26歳、上岡さんは33歳だったでしょうか。偉ぶらず、卑下もせず、折り目正しい態度の人格者と思えました。

仕事をし始めてからもその印象は変わらず、若い私の注文にも忠実に応えながら、その語りの冴えを花開かせてくれました。

上岡さんが当時のどの芸人とも違った点は、上岡さんが知識人だったことです。たいへんな読書家でもあり、世の物事をよく分析・勉強していました。こんな人が検事になったら、すごい腕を見せるだろうな、などと考えました。アドリブでものを語るときの言葉に、とくに才能が生きていました。上岡さんは、テーマを締めくくろうとするときなど、論理構成力ある言葉を、流れるような口吻で語ることができました。

あの時代、こんな知的な芸人はほかに誰もいませんでした。あの時代のスター芸人は、笑福亭仁鶴、桂三枝、やすきよ、コメディーNo.1、藤山寛美らでしたが、上岡さんは知識人として一線を画していました。東京にもそういう人気者は皆無でした。上岡さんは、弁護士だった父君に負けない知性でものを語れる知識人でした。

ー印象的なエピソードや思い出はありますか

ナイトスクープでのさなざまなエピソードについては、書籍『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』にずいぶん書きましたが、書かなかったことで印象的な思い出がひとつあります。

30年ほど前、本番前の楽屋でみんなで雑談している時、上岡さんが私に対してこう言ったのです。「まっちゃん、結婚せーへんの?したらどうや。岡部まりさんと結婚したらええのに」

雑談の解散後、控室にやってきた岡部さんにこっそり伝えました。「上岡さんが、ぼくと岡部さん、結婚したらどうかって」

それを聞いた岡部さんは、直ちに強くこういいました。「私たち、幸せになれるって、思います?」……否定的感情が見て取れたので、その話は中断させました(笑)

上岡さんと私たちスタッフは、視聴率競争の戦線での戦友でした。そんなスタッフの総大将に、親身なねぎらいの言葉をかけてくれる、上岡さんは心楽しき良き人でした。

ー改めて、訃報に寄せて

ナイトスクープは、上岡さんの才能を生かすために考えた番組です。厳しい面もありましたが、いったん信頼するとどんな若手の意見も聞いてくれる、代わりのいない人でした。

亡くなるのが早すぎます。100歳まで生きてもらって、ナイトスクープからお祝いの言葉を贈りたかった。「あなたの恩義は忘れていませんよ」という思いを込めて。

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