「七條橋」と書かれた古い石柱がこのほど、京都市上京区の民家から、下京区七条高倉の住宅に移された。京都市の七条通にかつて架かっていた橋の「親柱」の可能性もあり、移設先の住民は「仮の帰郷だ」と喜ぶとともに、市民団体などが由来に関する手がかりを求めている。
石柱は高さ約1メートルで、正面には「七條橋」と彫られている。正面以外の3面には何かを差し込むようなくぼみが刻まれている。
石柱はかつて、上京区の民家の中庭に置かれていた。この家に生まれ育った熊谷ももさん(46)によると、50年ほど前に庭師が庭石として持ち込んだというが、詳しい来歴は分からない。
熊谷さんは幼少期から「この石は何なんだろう」と気になっていたが、七条大橋で清掃活動をする「七條大橋をキレイにする会」という市民団体の存在を知った。会に連絡したところ、メンバーの小林明音さん(47)が応じた。
清掃に参加する人の中には、七条通に数少なくなった京町家に住む田中堯(80)さんがいた。小林さんが石柱の受け入れを打診したところ、田中さんは快諾。石柱は4月下旬、田中さんの京町家北東角の七条通沿いに移設された。
田中さんは「元からあったみたいになじんでいる。七条通のどこかの川に架かっていた橋のものと思われるので、仮の帰郷だ」と喜ぶ。
水辺の文化に詳しい京都産業大学の鈴木康久教授は「形態からすると、明治・大正から昭和初期ぐらいまでの橋の親柱ではないか。ただ、どこの川の橋かについては今後の詳細な調査が必要だ」と語る。小林さんは「より有益な情報が集まれば」と情報提供を呼びかける。
石柱は、七条高倉にある田中家の京町家北東部に置かれており、だれでも見ることができる。情報提供は「七條大橋をキレイにする会」のフェイスブックページ(https://www.facebook.com/shitijyoohashi/)で受け付けている。