滋賀県甲賀市信楽のMIHO MUSEUMで開催された「うましうるはし 日本の食事(たべごと)」は、日本の食の文化を美術史で振り返る展覧会だが、背景には同館の熊倉功夫館長が抱く「食の衰退」への危機感があった。ユネスコ無形文化遺産にも登録された和食はどう継承されていくべきか。熊倉館長に聞いた。
展示は、神をもてなす神饌(しんせん)、古代の儀式料理から、中世の本膳料理、寺院の精進料理、茶道とともに発展した懐石料理、江戸時代の宴席や外食文化を経て近代に続く。近代では、宴席や茶道と切り離して純粋に料理を楽しむことを唱えた北大路魯山人と、名店「吉兆」で料理ともてなしにメッセージを込めた湯木貞一の2人が紹介される。
この湯木貞一の紹介に熊倉さんの気になる言葉があった。「現代は湯木が料理に託したメッセージを読み取る力が弱まっている」。具体的にどんな面に表れているのか。
熊倉さんは語る。「最近は多くの店で『料理の説明』をする。客の会話を遮ってまで強要するわりに、こちらからの質問にはろくに答えられず、程度の低い説明に終わっている。マニュアル化して臨機応変の力がなく、メッセージが実質を失っている」
押しつけられる「料理の説明」
押しつけられる「料理の説明」に煩わしさを感じた人は少なくないだろう。では、心あるもてなしはどうすれば受けられるのか。
熊倉さんは、客が出す金額によって、かつてはこんな言い方がされたと話す。「6千~7千円ならすでに作った料理、1万円出せば厨房(ちゅうぼう)で作り立ての料理が食べられる。1万5千円出せば仲居さんが働く」
客の食べ方や速度、会話の様子を見ながら絶妙の間合いで料理を出してくれる仲居は、その名の通り調理人と客の間に位置し、双方の意思疎通を担う。優れた仲居は行き届いた目配りで、最高の食卓を演出してくれる。仲居の仕事はもっと顕彰されてよい、と熊倉さんは言う。食文化を高める大切な存在だ。
コロナ禍で、外食文化が一時逆風となった。そのこと自体は熊倉さんは「家庭の食が復活する機会」と捉える。ただ、それが和食の継承にはつながっていないと憂う。若い世代がご飯を炊かず、家庭での米の消費量も上向かない。熊倉さんは学校給食に望みを託す。子どもが給食で米やだしのおいしさを知れば、和食は受け継がれる。
「人前で見せつけるものではない」
一方でテレビをつければ食べるシーンがあふれている。物を食べ「おいしい」と叫ぶタレントたち。熊倉さんはこれを食の衰退と捉える。「食べることは生理的欲求で、人前で見せつけるものではない。かつては食への執着をいやしいと感じる力を誰もが持っていた」
確かに最近、いやしいという言葉を聞かない。日本人は持ち前の節度を失っているのだろうか。「食に恥じらいを持つ人は、たたずまいも清らかに見える」と熊倉さんは言う。これは国籍を問わず当てはまるだろう。
展示では、儀式料理、屋外の宴、茶懐石などさまざまな場面が紹介されるが、基本は家庭料理だと熊倉さんは話す。では和食の基本とは何か。「米のご飯、みそ汁、お菜、漬物。お菜は中華でも洋風でもいい。これを箸で食べること。日本人が箸を使わなくなったら、和食は終わりだと思う」