「きょうだい児」。兄弟や姉妹に障害者がいる人たちのことです。複雑な悩みを抱え、幼い頃に家族の世話をする「ヤングケアラー」になることもあります。そんな人たちの受け皿になりたいと、神戸市内にきょうだい児が集まる場所が昨年5月、誕生しました。代表の黒田崇さん(55)はその意図を語ります。「人とつながっておけば、自分が悩んだ時に話し相手になってもらえて、救われるんじゃないかな」
この家にみんなが集まってくる
神戸市長田区の入り組む住宅街に、その一軒家はある。間取りは3LDK。障害者支援団体が所有している。かつては障害者のカップルが結婚に向けた生活の練習のために使っていた。2011年の東日本大震災後は被災者に貸与されていたが、空き家になってから部屋が荒れ、庭は草だらけになっていた。
目を付けたのが、黒田さんだ。神戸市立友生支援学校で、先生として働きながら、障害者にかかわる支援をしている。
神戸や姫路、大阪、奈良…。小学生から社会人まで。毎月、いろんな地域からきょうだい児が訪れ、掃除をして、ご飯を作り、お腹いっぱい食べて、ただ遊ぶ。子どもたちがご飯につられて来ることを、黒田さんは茶目っ気たっぷりに言う。「みんな、ニンジンをぶら下げられているんです」
3つの大きな壁
「きょうだい児には大きな壁が3つあります。思春期、恋愛・結婚、そして親亡き後です」。思春期には、友達にからかわれたり、親のいない時に兄弟・姉妹の世話を任されたり。結婚を考える年齢になると、相手に受け入れてもらえるのか…。出産は? 不安が付きまとう。そして、親が年をとり、障害のある我が子を見られなくなった時、きょうだい児に重荷がのし掛かる。
黒田さん自身もそうだった。特に両親の老後は、心臓病で余命3年と宣告された弟を、家族の中心となって支えた。体を自力で動かすのは難しく、言葉も話せない弟。てんかん発作もあり、手術が成功する確率も未知数。手術をするかしないか、延命措置をするかしないか―。弟の生死の判断を下すようで、心がすり減った。
話せるだけで気持ちが違う
そんな時、救いになったのが、きょうだい児の集い「神戸きょうだいの会」で出会った人たちだ。「抱えている問題は、解決しません。ただ、話せる相手がいるだけで、気持ちが全然違った」と強調する。
支援の一環で、障害者やきょうだい児、その家族が集まる宿泊イベントをしていたこともあり、今度は、きょうだい児だけが集まれる拠点を考案。子どもの頃から遊んで仲良くなることで、つながりをつくってもらおうと、昨年5月にきょうだいの家を始めた。
「親戚のおっちゃん」みたい
バーキューを皮切りに、おでん、はる巻きパーティー…。きょうだいの家には毎月、黒田さんとつながりのあるきょうだい児がやってくる。黒田さんってどんな人? 子どもたちはそろってこう答える。「親戚のおっちゃんみたい!」
JR神戸駅に集合し、黒田さんの運転する車できょうだいの家へ。最初は知らない者同士で、よそよそしい感じ。でも、掃除をしているうちに打ち解けていく。「ちゃんと働いてるやん。この前はソファーで寝てたもんなあ」。掃除の際、黒田さんが常連の男子高校生(18)をちょっぴりからかう。すかさず「夜中までゲームしててん」と高校生。何気ない会話に、周りの子たちが引き込まれていく。
料理をつまみ食いしながら一緒に作り、ご飯を食べた後は、各々が好きな時間を過ごす。人生ゲームをしたり、恋バナで盛り上がったり…。
別の部屋で、悩みを打ち明ける人も。大阪に住む社会人の女性(31)は、弟(21)が軽度の発達障害で、いわゆるグレー。大学卒業後に就職がうまくいくか、その後のお金のやりくりはどうすればいいかなど、不安があった。「話を聞いてもらえて、整理ができた。友達にもできない話なので、アドバイスをもらえてありがたい」と話す。
黒田さんがこれまでに関わったきょうだい児は100人以上。頻繁に顔を見せてくれていたが、部活や勉強が忙しくなって連絡が途絶える子もいる。それでも構わない。
黒田さんは言う。「連絡が来なくなったということは、きょうだい児としての悩みが小さくなって、元気に過ごしているということでしょう。困った時、また連絡をくれたらいいんですから」
=おわり=