38年ぶりの日本一になったプロ野球阪神タイガースの球団歌として知られる「六甲おろし」。作詞は、大正から昭和初期にかけて活躍した詩人・佐藤惣之助(さとう・そうのすけ)なのだが、「佐藤は巨人の歌も作詞している」といった情報が散見される。「阪神と巨人の応援歌を同じ人物が手がけるとは、なんという皮肉!」と裏取りを進めると、アレアレ、アレレレレレ…。
「輝く我が名ぞ 阪神タイガース オウオウオウオウ 阪神タイガース フレフレフレフレ~♩」と聞けばなんとなく脳内再生される六甲おろし。正式名称は「阪神タイガースの歌」だ。1936年に「大阪タイガースの歌」として発表され、61年に球団名が変更したことに伴い、タイトルと歌詞の一部も変更された。佐藤が六甲おろしを発表した時、歌謡曲「赤城の子守唄(あかぎのこもりうた)」などで、すでに売れっ子だった。作曲は、球団や大学の応援歌を数多く手がけた古関裕而(こせき・ゆうじ)だった。
佐藤についてインターネットなどで調べていると、気になる記述があった。往年の阪神ファンたちが「佐藤は巨人の初代応援歌も手がけている」などと言及しているのだ。ご存じの通り、阪神と巨人は浅からぬ因縁も持つ。その2球団の歌を同じ人物が・・・。
興味を抱き、巨人の球団歌「巨人軍の歌」を調べてみた。現在は「闘魂こめて」(63年)だが、この曲は3代目。初代は39年に発表された「野球の王者」。しかし、作詞家は西條八十(さいじょう・やそ)となっており、佐藤ではない。はて?
作曲家は同じ古関裕而
そこではたと気付いた。六甲おろしと野球の王者、いずれも作曲が古関裕而であることを。臆測だが、作曲が同じ人物であることから、情報が錯綜(さくそう)し「佐藤は巨人の歌も手がけている」という勘違いが広がったのではないか。
六甲おろしや野球の王者を発売した「日本コロムビア」に聞いてみると、「『闘魂こめて』が有名なため、『野球の王者』は過去にあまりCD化されておりません。われわれの記録だと、最初のレコードが発売されて以降、2005年までCD化されていない。その間に違う情報が出回ってしまったのかもしれません」と回答してくれた。
また歌謡曲の歴史に詳しい専門家は「野球の王者は無名の曲で、世間は誰の作詞かは分からない。佐藤のファンたちが『野球の王者も佐藤が書いた』などと広めたのかも」と推測。また「野球の王者の詞には、ナショナリズムが入っている。だから西條の作品でしょう」とした。
結局、「佐藤は巨人の応援歌も手がけている」という話は誤りということで決着した。その一方で、古関裕而のすごさを再認識。六甲おろしと野球の王者に合わせて闘魂こめて、そして、中日の初代応援歌「ドラゴンズの歌」(50年)も作っているではないか。2020年放送のNHKテレビ小説「エール」の主人公のモデルにもなった古関。改めて恐るべし。