「京都は苦い思い出の場所です」高校3年間補欠だった五輪メダリスト 全国女子駅伝開会式の感動スピーチが話題

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 「私は3年連続補欠」「補欠は補欠なりの何かできることはある」。このほど行われた皇后杯第41回全国都道府県対抗女子駅伝(全国女子駅伝)の開会式で、五輪メダリストの有森裕子さんが行ったあいさつが胸を打つ内容だったと出席者から聞きました。有森さんは女子マラソンのオリンピックメダリストです。メダリストの補欠時代はどんな様子だったのか。京都新聞のカメラマンが撮ったあいさつのノーカット動画をもとに、有森さんが明かした過去と選手への激励を込めたスピーチを見ていきます。

 有森さんがあいさつしたのは1月14日、京都市体育館(右京区)で行われた全国女子駅伝開会式でした。有森さんは体育館に集まった選手や大会関係者を前に約6分半のスピーチを行いました。

 有森さんは現在、日本陸連の副会長です。当初、陸連の尾県貢会長があいさつする予定だったそうで、ピンチヒッターに立った有森さんは緊張していると語っています。

「用意したのはここまでです。実は」

 「用意したのはここまでです。実はですね…」。約1分半、出場権を勝ち取った選手を祝福したり、関係者へ感謝を述べたりした後、有森さんは演台に置いた原稿に目を落とさず、会場の選手たちに向かって語りかけ始めました。

 「そのとき岡山県の選手でしたけれども、長距離はやってなくて800メートルの選手でした」。第1回全国女子駅伝が行われた1983年を振り返ります。当時、有森さんは高校1年でした。全国女子駅伝が始まった当初、陸上女子の長距離競技は普及と育成が課題でした。

 「私は自分の中では本当に箸にも棒にもかからないような弱い弱い選手でした。インターハイにも出たことがない、国体にも行ったことがない」。有森さんは高校時代をそう振り返ります。そんな有森さんに与えられた役割は…。

 「私は3年間この都道府県の駅伝は高校1年、高校2年、高校3年、3年間連続で補欠です」

「京都と聞いただけで」

 「京都と聞いただけで、まあ当時の駄目だった自分を思い出さざるを得ないような、そのくらいの苦い思い出の場所なんです」

 陸連副会長の心は高校生時代にタイムスリップしたようです。会場にいる補欠の選手に呼びかけ、その心中を推し量ります。

 「もうほぼほぼ選手が決まって補欠の選手がいらっしゃるでしょう。どんな思いをして座ってるかなんとなく私自身感じます」

 「でも」と有森さんは語りかけます。

 「3年連続補欠であった私でしたけれども、それでもこの女子駅伝で私がその3年連続補欠の思いで、悔しい思いで得た多くの財産はその後生かされました」。

 有森さんはマラソン選手として1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、1996年のアトランタ五輪では銅メダルを獲得しました。

 「(全国女子駅伝の補欠経験は)まさにその後の私自身の心に火を付けた素晴らしいもの、財産となっています」

 そしてメダリスト有森裕子さんは補欠も含め未来ある選手たちを激励します。

 「走るランナーの皆さんはもちろんのこと、補欠のみなさんもぜひ補欠だからといって何もできないことはありません。何ができるかできないかは皆さん次第です。補欠は補欠なりの何かできることがある。そういう思いでここでね、次の場所につながるものをたくさんつかみ取ってこの大会を終えていただきたいなと思います」

 6分半のあいさつは「皆さん明日がんばってください」と力を込めた言葉で終わります。選手たちを見回しながら呼び掛けた熱いスピーチに、会場からは温かい拍手が送られました。

 22日には広島市で天皇杯全国都道府県対抗男子駅伝(ひろしま男子駅伝)が開かれます。参加47チームにも補欠の選手がいるはずです。有森さんの激励の言葉を胸に、何かをつかみ取って世界に羽ばたく選手が出てきてほしいと願うばかりです。

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