掛布雅之さんの公式YouTubeチャンネル「掛布雅之の憧球」の元トラ番記者編収録を終え、後は1月下旬開始の配信を待つばかりというタイミングで、12月28日午後、掛布さんから電話がかかってきた。
以前からの飲み会の約束が一件あり、その打ち合わせかと思って電話に出ると、いきなり「沼ちゃん、ダメやった…」と伝えられた。
「え?」。予感はありながら聞き返すしかなかった。
「けさ亡くなったそうや」。予感は的中していた。
43年前、掛布さん引退のタイミングで親しかったマスコミ関係者8人が集まって結成した「掛布会」。その当初からのメンバーで、会の中心を担ってきた元日刊スポーツ記者、井坂善行さんの訃報だった。
元記者というより一般的には大阪府和泉市の元市長というべきかもしれない。井坂さんは1992年、37歳の時に日刊スポーツを退社。その年、生まれ育った和泉市の市議会議員選挙に立候補し、トップで当選した。市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任した後、2003年に市会議員を辞職、05年の和泉市長選挙に立候補して当選し、1期4年を務めた。
井坂さんに膵臓がんが見つかったと知ったのは、昨年11月14日、神戸で掛布さん、阪神タイガース元オーナーの坂井信也さんと3人で食事をした夜のこと。店を出てふたりになったタイミングで「沼ちゃん、実は…」と掛布さんが教えてくれた。
そういえばしばらく電話の声も聞いていない。手帳を繰ってみた。3月には掛布会の一泊旅行、5月、7月には掛布会の飲み会を大阪で開いて顔を合わせている。同じ7月には掛布会とは別にサンテレビ社長を退任した私の慰労会を井坂さんに開いてもらった。
ただし…。思い返してみると3月の旅行あたりから少し痩せた印象が強くなり、口にする食べ物、飲み物がめっきり少なくなった印象があった。
そのときは掛布さんから「掛布会のメンバーも含め、当面は誰にも口外しないで。それが本人の希望だから」と口止めされた。
井坂さん本人から電話がかかってきたのは11月30日のことだった。夏の終わり頃からめっきり食欲がなくなり、検査をしたところ膵臓にがんが見つかったこと。抗がん剤治療の途中で肺炎を発症し、現在は中断して肺炎の治療のために入院していることを伝えられた。
「まだ若いしな。やらんとアカンこともある。まだ早い、この年(67歳)やからな。頑張るわ」。結局最後となったその言葉がいまも頭の中に響いている。
訃報をメールで掛布会メンバーに回した。翌12月29日に家族だけでの葬儀が行われ、その後で一般の焼香も受け付けるという。参加の可否をまとめた結果、掛布さんを含めて5人のメンバーが駆けつけることになった。
焼香を済ませ、棺の中の井坂さんと対面した。別人のようにやせ細った姿に接し、涙が止まらなくなった。遺族は喪主の長男と奥さん、ふたりの娘さん。奥さんには「ご存知かどうか、昔のトラ番仲間です。掛布会でいつも一緒でした」と挨拶した。奥さんはハッと顔を上げ「もちろん存じてます。本人にとって一番の楽しみでしたから」と言ったきり涙で声にならなくなった。
実はYouTubeチャンネル開設にあたって、誰よりも情熱を注いできたのが亡くなった井坂さんだった。何とか掛布さんを阪神タイガースの監督に、という思いも誰よりも強かった。
間もなく配信が始まるYouTubeチャンネルの「元トラ番記者」編。本来ならそこにいるべきだった主役を偲んで思い出に浸りたい。