YouTubeチャンネル「掛布雅之の憧球」に出演へ 元トラ番に白羽の矢~鉄爺友と会う#2

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 11月25日、掛布雅之さんから電話があった。

 「ぬまちゃん、ひとつ頼みたいことがあるんやけど」

 ふだん、こちらからお願いすることはあっても掛布さんからの何か頼まれるということは滅多にない。

 

 掛布さんとの出会いは42年前に遡る。1980年1月10日付の辞令で、私はデイリースポーツ阪神担当記者となった。いわゆる「トラ番記者」だ。その前の年、掛布さんは48本塁打を放ち、セ・リーグのホームラン王のタイトルを獲得していた。ベストナインにも選ばれ、24歳の若さで日本のプロ野球を代表する三塁手として押しも押されもせぬ存在になりつつあった。

 スーパースターと駆け出しのペーペー記者。私にしてみれば同い年という糸だけを頼りにつきあいが始まった。当時、スポーツ紙の阪神担当チームはたいてい3人で構成されていた。キャップ、中堅、若手という組み合わせで、それぞれの記者の役割がなんとなく決まっていた。若手とはいえ打線の大黒柱、原稿になる機会もダントツに多い存在の掛布さんと毎日のように顔を合わせ、話を聞き、それを文字にするという経験がどれほど貴重だったことか。

 

 掛布さんは1988年を限りに引退した。まだ33歳という若さだった。当時、公私を通して特に縁の深かった8人のマスコミ関係者が集まり、「掛布雅之と8人の仲間」と胴に刻印した万年筆を贈った。いわゆる「掛布会」の始まりだった。

 それから年に一度の旅行会が定例となった。1泊、皆の都合が合えば2泊の旅程を組んで、日本中あちこちに出かけた。淡路島を皮切りに、香住、若狭、大山、小樽、宮崎、浜名湖、高知、琵琶湖、和歌山、伊勢、仙台…1995年にはとうとう日本を飛び出してサイパンへ飛んだこともある。

 結成から34年が過ぎ、メンバーの一人は鬼籍に入り、故郷の秋田へ帰った者、東京に居を移した者、全員集合はなかなかかなわなくなったが、いまでも集まれるものが顔を揃えて、泊りがけで出かけたり、年に何度かの掛布会は続いている。

 その「頼み事」の中身を聞いてビックリした。「YouTubeに出てほしい」というオファーだったのだ。掛布さんは今年、「掛布雅之の憧球」というYouTubeチャンネルを立ち上げた。「憧球」とは白球への憧れを表現した自らの造語で、現役時代からサイン色紙には必ずこの言葉を書いてきた。

 チャンネルでは豊富な人脈を駆使してバラエティに富んだゲストを招き、マニア垂涎のプロ野球トークを展開している。同級生で交流も深い投のレジェンド江川卓さんを皮切りに、最近では1985年の阪神タイガース日本一を支えた真弓明信さん、新監督に就任したばかりの岡田彰布さんを招いて、それぞれのキャラ満開の鼎談を配信中だ。

 掛布さんによると、視聴者から色々な声が寄せられていて、その中でも「当時の裏話のようなものが聞ける企画があれば」という注文が多いのだという。

 そこで今回の企画は一度ユニホーム組から離れ、当時は文字にできなかった話も共有してきたオールド「トラ番記者」に白羽の矢を立てたというわけだ。

 もちろん「喜んで」とその場で返事をし、同じ掛布会メンバーでスポーツ報知OBの世良直さんと生まれて初めてのYouTube収録に臨むことになった。

 12月8日へ向け、柄にもなく緊張が増してきている。

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