音楽ライブで、歌詞の手話通訳を取り入れるソウルバンドがある。サックスやトロンボーンといったホーン隊を率いる8人組グループ「思い出野郎Aチーム」。手話通訳者もメンバーと並び、ダンスを踊っているかのように手話で歌詞を表現する。海外の音楽フェスではよく取り入れられているが、日本ではまだ珍しい形。メンバーは「手話が社会で自然に触れられるきっかけを増やしたい」と話す。
10月中旬、岡山県で行われた音楽フェスで、バンドと一緒にステージに立つ女性が、体いっぱいに手話をしていた。表情もいきいきし、まるで手話もコーラスの一人のよう。アップテンポの曲「アホな友達」では、サビの手話を観客に伝授してから演奏。コロナ禍で観客は声を出せない中、多くの人が手話を覚えて踊り 、会場のムードは最高潮になった。
思い出野郎Aチームは、インディーレーベル「カクバリズム」に所属。グルーブ感あるギターやリズム隊に、ボーカルの高橋一さんのハスキーボイス。歌声を盛り立てるように華やかなホーン隊が彩る。日本3大音楽フェスの一つ、フジロックフェスティバルの常連でもある。
手話通訳を導入したのは2021年末。マネージャーが海外アーティストの多くがライブで手話通訳を取り入れているのを知り、提案したのがきっかけだ。実際、米国のヒップホップ界レジェンド・エミネムをはじめ、韓国のアイドルグループ「BTS」も取り入れている。「思い出野郎Aチームの歌詞は人に寄り添うものが多く、違和感なく取り入れられるのでは」と考えたという。メンバーも新たな試みに共感し、音楽業界でも活躍する手話通訳士・ペン子さんに依頼した。
歌詞では、わざわざ言葉にしないことも多い。「手話への翻訳は、歌詞の意図や作者が思い浮かべる情景、歌詞に込められた背景知識などを知らないとできない。そこが大変なところ」とペン子さん。例えば、メロウな曲調の「同じ夜を鳴らす」。冒頭の「街路樹がコマ切れにする街のあかり」は、主人公が街路樹を下から見上げているのか、遠くから眺めているのか。視点の違いで、手話の表現が変わるという。細かなニュアンスをすり合わせるため、作詞担当の高橋さんと通訳のペン子さんが、メールや電話で歌詞の解釈を何度も確認。1曲を翻訳するのに、約20日間掛かったという。
手話で高まるメッセージ性
手話だからこそできることもあった。差別のない世界を歌った「フラットなフロア」では、サビで「フラットなフロア」という歌詞が繰り返される。手話では「平らな床」と「差別のない踊りやすい場所」という意味の手話を交互にすることで、メッセージ性を高めた。「歌より手話の方が、意味が正確に伝えられているかも」と高橋さんは語る。
だが実際、耳の聞こえない人が音楽を楽しむのはハードルが高い。それでも手話を取り入れるのは、手話が社会生活の中で自然な存在になってほしいとの思いからだ。「自分もそうだったように、手話に触れる機会自体が多くないのが現実。でも、触れたことがあるかないかで見方も変わると思う」と高橋さん。ギタリストやベーシスト、コーラスがいるように、手話通訳がいることが当たり前になれば。 そんな思いでライブ活動を続ける。
思い出野郎Aチームは12月11日、神戸市西区押部谷町の神戸ワイナリー中央公園で行われる「ブジウギ音楽祭2022」に出演。ほかにもスチャダラパー、さとうもか、七尾旅人、NONA REEVES、asuka andoなど15組がステージを披露するほか、地元など22の飲食店が会場を盛り上げる。