「冒険家と呼ばれることはうれしい。でも自分からは名乗らない」堀江謙一さんが“ヨットマン”にこだわる理由

小嶋 あきら 小嶋 あきら

3月28日にサンフランシスコを出港、太平洋横断にチャレンジしていた堀江謙一さんが6月4日未明、無事にゴールラインに到達しました。

ゴールは6月4日、そして5日にセレモニー

ゴールは和歌山県の日ノ御埼の灯台と、徳島県伊島の灯台を結んだライン。ここを4日の午前2時39分に越えたサントリーマーメイド3は、同7時20分に出迎えの船に曳航されて、夕方17時ころに母港・新西宮ヨットハーバーに帰港しました。

その日は船内で一泊し、翌日に入国手続と検疫を済ませ、帰港のセレモニーが行われました。

6月5日13時、市民や報道関係者など大勢が集まる中、ボートに曳航されて堀江さんは桟橋に到着、出航から70日ぶりの上陸を果たしました。

サンフランシスコからおよそ8500km。全長6m足らずのヨットで乗り越えてきたはるかな大海原を想像すると、この旅のスケールの大きさ、そしてそれを83歳で成し遂げたこと、全てが驚きです。

昨年末、西宮で準備していた頃にお話を伺った際、今回のマーメイド号について「艇のサイズは同じでも、もちろん60年前とは装備がまったく違う。進んでます。でも基本的にヨット自体はそんなに変わりません」と話していました。23歳で最初の単独無寄港で太平洋横断した時の初代マーメイド号と、今回のサントリーマーメイド3は全長が同じで、設計者は横山一郎さん。初代を設計した横山晃さんはお父さんです。

前回は23歳で最年少記録、そして今回、83歳での単独無寄港太平洋横断はこれまでの記録を大きく塗り替える最年長記録。堀江さんにとってもマーメイド号にとっても、まさにこの60年間を辿る旅だったのでしょう。

「今回は身も心も燃やし尽くす完全燃焼でしたが、青春真っ只中、まだまだ若輩者です。大器晩成を目指してこれからもがんばります」と、突っ込み所をしっかりと盛り込んだコメントに桟橋には和やかな空気が流れました。

新西宮ヨットハーバーのある西宮市の市長、堀江さんが住む芦屋市長のあいさつがあり、今回のチャレンジのスポンサーのサントリーからモルツの贈呈(パネルが手渡されて、品物は後日自宅へ送られるらしいです)と続いて、そして桟橋でのセレモニーの最後、主催者の用意したミネラルウォーターで喉を潤して、ガッツポーズで締めくくられました。

冒険家と呼んでもらえればうれしい。あくまで謙虚な冒険家

その後、会議室に場所を移して記者会見がありました。早くも「次」を匂わせる堀江さんに、「このまますぐ次の冒険に出られそうですね」との質問が飛ぶと、「まあ、そんなところもありますが。……家族はそんなに甘いもんじゃないので」と、また会場を和ませておられました。さらに「桟橋でミネラルウォーターを出されて、飲まれてましたが、あれビールでも良かったんじゃないですか」という質問には「そうです。前回(2008年の波浪推進船でのチャレンジの時)のゴールはビールだったんですが……」と、さらに会場を沸かせていました。

「以前堀江さんは、『冒険家と呼ばれるのはうれしい。ピアニストが芸術家と呼ばれるようなものだから。でも自分で冒険家とは言わない。自分はヨットマンで、あくまでヨットはスポーツ。自分からは冒険家という言葉は使いません』と、そうおっしゃってました。もし堀江さんが冒険家でなければ世の中に冒険家なんて居ないと思うのですが」という質問には、「ありがとうございます。もちろんそう呼ばれるとうれしいですが、それはあくまで第三者の方が決めること、評価としていただくことなので。冒険家と呼ばれることはうれしい、でも自分から言うべきことではない」と、今回この大冒険を成し遂げてなお謙虚な堀江さんでした。

まだまだ青春の83歳。100歳までチャレンジを続けたいとおっしゃる堀江さんの次の冒険はいったい何なのでしょうか。

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