「この猫は1カ月もちません」
そう告げられ、安楽死を勧められた猫が東京都で暮らしています。今年3歳のノチェロくんです。生後約2カ月のころ、現在一緒に暮らすHさんの自宅マンション駐車場を痙攣しながら歩いている時に保護されました。2019年7月のことでした。
このノチェロくんには脳障害があり、てんかん発作は一日中。猫のてんかんは珍しいらしく、詳しく診てくれる動物病院はHさんの身近にありません。先に電話で症状を伝えると、何軒もの動物病院に診察拒否をされてしまいました。
着々と症状が重くなっていくノチェロくん。家に迎えて3カ月も経たないうちに、ほぼ寝たきり状態です。痙攣は24時間ずっと続いています。目は神経に異常がなくとも、光を脳が認識していないので見えていないも同然。自分の足で立って歩くだなんて、夢のまた夢です。
このまま死を待つだけなのか…、絶望の淵に立ったHさんは藁にも縋る思いで看取り専門の動物病院の門を叩きました。せめてゆったり虹の橋のたもとへ見送ってあげたい。この選択が、運命を大きく変えます。
「猫には無限の可能性がある」
看取り専門の獣医師はそう言ってくれ、じっくりとノチェロくんを診察してくれました。そして、総合病院の紹介状を書いてくれたのです。重大な障害の可能性があるので、大きな病院で検査をした方が良い。Hさんはびっくりしました。紹介を厭わない獣医師がいるなんて…。地獄に仏とは、まさしくこのことでした。
紹介状を持って、今度は総合病院へノチェロくんを連れていきます。そこで詳しい検査を行い、次は大学病院です。てんかん手術の治験に参加することになりました。しかし、子猫のてんかん手術は前例がありません。何より抗てんかん薬を大量に服用していたため、麻酔リスクが高い。ですから、まずは投薬治療で様子を見ます。
今までと違う薬を飲み始めたノチェロくんは、幸いなことに発作が落ち着いてきました。今まで1日中発作が起きている状態だったのに、1日2~3回ほどになったのです。Hさんは喜び、このことを大学病院の獣医師に伝えます。けれど獣医師の表情は曇ったまま。
「てんかんの寛解は、発作が3カ月に1回になってからです」
ノチェロくんは薬でどうにかなる障害ではありませんでした。やはり手術が必要だと診断され、2020年6月ノチェロくんが1歳になったのを機に手術を行いました。頭蓋骨を開ける10時間以上に及ぶ大手術。万が一のことがあるかもしれないと、Hさんは覚悟していましたが、手術は無事成功。ノチェロくんはしばらく入院することに。
毎日お見舞いに行くHさん。ある日のこと、獣医師たちがニコニコ笑いながら出迎えてくれました。何だろうと病室に入ると、寝た切りだったはずのノチェロくんが自分の足で立っているではありませんか。きょとんとした表情でHさんを見つめます。
そのノチェロくんの姿を目にした時、Hさんは胸がいっぱいになりました。ようやくこの時を迎えることができた。止めどなく涙があふれてきます。獣医師たちもまた、一緒に喜びの涙を流してくれました。
手術を終えたノチェロくんは、今まで出来なかったことができるように。一番大きなことは、記憶を留めておくこと。今までは一日中発作を起こしていたので、記憶する暇がありません。でも今は違います。Hさんの声を覚え、大事な人だと認識してくれるようになったのです。
おやつのことも覚えていられるようになったので、ちゅーるの入っている箱が開く音が聞こえるとルンルンするようにもなれました。
「猫には無限の可能性がある」
あの時、看取り専門の獣医師が言ってくれた言葉が実現しました。てんかんの猫でも命を諦めなくていい。生きる選択肢を示してくれ、尽力してくれた獣医師に感謝をしながら、ノチェロくんはHさんと穏やかに過ごしています。