「かわいい」の原風景つくった少女漫画の黎明期 おしゃれでおてんばなヒロインが人気を呼んだワケ

京都新聞社 京都新聞社

 1950~60年代に活躍した女性漫画家たちの功績に光が当てられている。少女漫画の黎明(れいめい)期で、おしゃれを楽しみ、おてんばでのびのびと生きるヒロインを描いて多くの読者から人気を呼んだ。少女漫画に詳しい京都国際マンガミュージアム学芸員の倉持佳代子さんに、当時の少女漫画が支持された背景や歴史的意義について聞いた。

 少女のために女の子を描いた漫画は昭和初期からあったが、最初は母の行方不明やヒロインの死など不幸で悲しい物語が主流だった。「(担当者や執筆者は)男性編集者や男性漫画家が中心で『女の子には、とにかく泣けて不幸な話が受ける』という偏見があった」と倉持さん。敗戦直後も暮らしが貧しかったことから悲しい物語が量産された。

 50年代に入って変化が起こる。わたなべまさこさん(92)や牧美也子さん(86)、昨年12月に91歳で亡くなった花村えい子さんらが等身大の少女のあこがれとその姿を描き、少女読者の心をつかんだ。理由の一つがヒロインの華やかなファッションだという。「男性漫画家が描いたヒロインは寝間着を着ずに普段着のまま寝るなどして、少女読者は違和感を持っていた。戦争中にあったスカート禁止などの抑圧からも解放され、女性の漫画家たちは『自分だったらこう描く』との思いで、少女漫画を変えていきました」

 花の刺しゅうを施したワンピース、リボンがあしらわれたボレロ、プリンセスラインのコートなど、描かれたファッションは今見てもとてもおしゃれ。牧さんやわたなべさんはいずれも洋裁の心得があったという。「みなさん『自分が着たい服を描いた』と話していました。女性漫画家たちはデザイナーの役割も果たしていたと思います」

 少女漫画のヒロインはファッションリーダーとして注目を集めた。「主人公が着ていた服は少し手を伸ばせば届く存在でした」。牧さんの「マキの口笛」を掲載した漫画雑誌は主人公とおそろいの服が当たる懸賞コーナーを毎号掲載した。当時の子ども服は、家で縫うか洋品店での注文が主流で、懸賞から外れた少女たちは「同じ服が着たい」とねだり、縫ってもらったという。

 読者はヒロインの生き方にも共感した。男女の恋愛を描くのはタブー視されていたため、女性漫画家たちはメソメソせずのびやかで前向きに生きる女の子を描いた。わたなべさんが57~59年に連載した「山びこ少女」もその一つ。双子の姉妹が生き別れ、1人は山で育ち、もう1人は都会でお嬢さまとして暮らす。「読者は自分たちと同じようにおてんばで勇気のある女の子と、お嬢さまの暮らしをする女の子の物語を求めました。二面性を表現できる“双子もの”は人気でした」

 少女漫画の黎明期の見直しが進んでいる。2017年から故・谷ゆき子さんの漫画が相次いで復刊。昨年は漫画で描かれたおしゃれに着目した「かわいい!少女マンガ・ファッションブック」が出版、「少女マンガはどこからきたの?web展」が明治大米沢嘉博記念図書館のホームページで公開された。今夏は画業60年を記念した花村えい子さんの展覧会が川越市立美術館(埼玉県)で開かれた。

 50~60年代の少女漫画について、倉持さんは「日本の『かわいい』の原風景を作った」と考える。ただ、「かわいい」とは女性を内側へ押し込めたり異性へこびたりするものではないという。「当時の女性漫画家が描いたのは不幸な出来事があっても前向きに生き、自らの力で人生を切り開くヒロイン。子どもたちはファッションをまねたり、あこがれたりすることで勇気や力をもらった。女性の社会進出の機運を敏感に察知した時代でもあり、如実に反映されたのだと思います」

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