「利口なカラス」によって神社の手水舎が使えなくなった…カラスの知能の高さに驚きの声

竹中  友一(RinToris) 竹中 友一(RinToris)

皇室・王室ライターとして活動されている中原鼎さん(@NAKAHARA_Kanae)が、「利口なカラス許せねえーッ」というコメントとともに、神社のカラス被害について紹介する写真を投稿し、話題となりました。

中原さんによると、今回撮影したのは静岡県浜松市にある白王稲荷神社の手水舎。

一見すると、どこにでもありそうな手水舎ですが、書かれている掲示にクローズアップすると、このような文章が。

「利口なカラスが、ひからびた小魚を水につけて、もどすことをおぼえ、手水鉢の水をとりかえても一日で水が濁ってしまいます。
小魚の骨や肉片がたまって不衛生ですので、この手水は使用しないで形だけの所作にしてください」

ご存知の通り、手水舎とは参拝者が事前に手や口をすすぎ清めるためにある、とても重要な場所。それがカラスのせいで本来の使い方ができなくなってしまった…確かにこれは許せない!

でも、一方では「手水鉢の水で、ひからびた小魚を水につけて戻している」という、カラスの賢さにも驚いてしまいます。

実際、中原さんのツイートのリプ欄にも、

「子供の頃、家の縁側の屋根に来るようになってしまったカラスに意地悪のつもりで母が超硬いビスケットをあたえたら、ものの数分で水たまりにつけたら柔らかくなることを発見し美味しく食べられてしまい、カラスめ…となった」
「横浜市営地下鉄ではカラスが釣り銭をゲットして 券売機にお金を投入する事までします」
「うちの庭にある小鳥の水浴び用の鉢も、乾いたパンをどこからかカラスが持ってきて水でふやかして食べるのですぐに汚くなってしまっていたんだけど、カラスが代替わりしたらとんと来なくなってしまった。技を子孫に受け継がないところがカラス族の限界なのだなあ」

カラスの知能の高さについて言及したものも多くみられました。

いずれにせよ、「利口なカラス」によって聖域が侵されるというのは由々しき事態です。

しかし、考えてみると、信心は人間にとって大切な精神ですが、他の生き物にとってはそうではありません。カラス側にしてみれば、人間の都合など関係なく、生きるために行っていることです。

我々人間も自然の中の一員である――と考えると、これはなかなか根深い問題といえるかもしれません。

中原さんにお話をうかがいました。

――カラスが干物を水につけて食べるという知恵をつけたことについて、どのように感じられますか?

中原さん:カラスはとても知能が高いといいますが、まさかこんな芸当ができるまでだとは思わなかったのでただただ驚きです。とはいえ、コメントでも多くのカラスの賢さにまつわる話がありましたので、案外どこでも見られる行動なのかもしれません。

――他の神社でも事情によって、手水などの本来のしきたりが行えないところを、見られたことはありますか?

中原さん:コロナ対策で、水を抜いて使えないようにしている手水舎ならたくさん見たことがあります。あと、使えなくなったわけではないですが、鳥獣除けとして手水舎の四方のうちの三方くらいを網で囲んでいる寺社もいくらか見たことがあります。

――色々と対策されているのですね。中原さんの言われるように、手水を行わないという神社も増えているのですね。

中原さん:特にコロナ禍以降、使わない手水舎に花を飾る「花手水」というものをよく聞くようになりました。これを疑問に思う声もあるようですが、私は寺社関係者がそれでよいと判断したのならば、部外者が口を挟むことではないと思います。

――それぞれの見解があるということですね。

中原さん:一説によると、そもそも手水舎とは疫病の蔓延を防ぐために第10代天皇・崇神天皇が設置させたのが始まりだそうです。それが現代基準では逆に不衛生だとすれば、もはや手水舎自体が歴史的役割を終えようとしていると言ってもいいのかもしれません。そう思うと「形だけの所作にして下さい」という白王稲荷神社の指示は、所作自体に意味があるという同社の考えが窺えて面白いですね。

  ◇  ◇

中原さんは、カラスによって神社が被害を被ってしまうことを「許せない」と言いつつも、今後の手水舎のあり方については柔軟な考えを示しています。

しきたりも重要ですが、そこに過度にこだわるのではなく、時代や風潮・自然環境などをみながら判断し、対応を変えていくことも必要なことなのかもしれません。

■中原 鼎(皇室・王室ライター)さんのTwitterはこちら→https://twitter.com/NAKAHARA_Kanae

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